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今感じていること、成していることが未来を作っています。
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カテゴリ:今世 > どう受け止めるか

東京23区「年収ランキング」…23位は350万円以下、1位は?を読んだ。

記事によると、東京23区内の平均年収は、1位と23位で3.5倍の差があるそうだ。
23位が350万円として、1位はその3.5倍として1225万円となる。

1位は港区、2位は千代田区、3位は渋谷区、4位が中央区、5位が目黒区となっている。
上位4位までは、どちらかといえばオフィス街であったり、商業施設が多い場所なので、人口も少ない。つまりは、高所得者が住む街、ということだろう。

方や、住宅街という概念では、5位の目黒区が事実上の1位と言って良いだろう。
6位以下は、文京区、世田谷区、新宿区、品川区、杉並区、豊島区と続き、ここで23区の平均年収に到達する。

年収が高い人をセレブと呼ぶが、そういう街は犯罪率も低いと聞く。
犯罪ゼロというわけではないだろうが、年収が高ければ罪を犯す動機が減るからだろうか?

同じ区内にもいわゆる山手と呼ばれる地区があり、そういう場所のほうが犯罪率は低い。
方や曰く付きと呼ばれる場所での犯罪率が高い現状を鑑みると、やはり年収と治安は比例するのかもしれない(一概には言えないが)。

最終的には自分にとっての大切な場所であれば、それが一番ではあるが、世の中には自分で想像もしないような物差しで、物事を図る人達がいることを知っておいたほうが良いこともある。

あとは、自分の勘を信じて選択していくことが大切だろう。




台風10号が自転車並みのノロノロ速度で、沖縄、九州方面に近づいている。
気圧が925haという、極めて巨大勢力であり特別警報が数日前から予見されているほどだ。

梅雨時の大雨で熊本、大分ではまだ平常に戻っていないところもあるうえ、更なる巨大台風が襲来となれば、どれほど心細く不安であろうかと察する。

実際暴風域に入ってからでは避難出来ないほどの暴風雨の予想であることから、早めの避難が大切だとも報道されている。

南の島は台風に慣れているとはいえども、伊勢湾台風並みの勢力と聞いただけで、これまでの台風とはけた違いであると想像出来るが、現代人のほとんどがそんな勢力は初体験だろう。

自然の猛威は人間の敵うところではないにしても、出来うる限りの防衛と備蓄、避難は必須だ。
それで助かる命もあるのだ。

「これまでそんなことはなかったから」と高を括ってはいけない。
過信ほど怖いものはないと心から思う。

電車内、向かいに座る女子高生に「足広げるな」両手で膝押し、閉めた容疑で男逮捕で思いが巡った。

先の記事は神戸での出来事だが、東京でも女子高生に限らず、短いスカートで大股広げて座っている女性を目にすることがある。

この人は、反対側の人からパンツ丸見えであることに気付いていないのだろうか?と、不思議に思うが、当の本人は平気な顔をしている。

男性が座って大股広げても咎められないし、隣に座る者に足が当たっていても誰も何も言わないし、本人も平気な様子。触れられてる側は気持ち悪くて、これまで何度その足をはたいてやりたいと思ったことか!

女性が大股広げて座ることは、昔の日本人なら「はしたない!!」と言って叱られただろうが、今の世の中、心で思っても口にする人はまずいない。

他人にパンツを見られても平気な女性が増えているのか、ただ単に気付いていないのか?本人でなくては分からないが、大股広げたいのならスカートではなく、パンツを履けば良いだろう。

男性だろうが女性だろうが、隣や前に座る人、視界に入る人に不快感を与えないことが大切だ。


地球に衝突しませんように...NASA解説の小惑星「2018VP1」とは?アメリカ大統領選前日に最接近を読んで、宇宙の広がりに思いを馳せた。

宇宙で連想するものといえば、私の場合「スター・ウォーズ」だ。
銀河系には数えきれないほどの星があり、フィクションとはいえ、映画のキャラクターを見るだけでも、人類以外の生物は無限だろう。

中には浮遊隕石があってもおかしくないし、地球から打ち上げられた運用中の人工衛星は約1000個、1センチ以上の宇宙ゴミは50万個以上と言われている。

それらが大気圏を突き破って落下してくることも有り得るし、さらには宇宙にただよう隕石が落下することもある。最近は日本でも立て続けに隕石が落下している。その大きさは数センチであるものの、空に輝く閃光は遠くからでも確認できるほどだ。

先の記事にある2018VP1(直径2メートル)が地球に落ちたら、間違いなく地球は壊滅的被害を受けるだろう。予測値では空中で消滅するとは言われているが、実際に落ちてみなければ分からない。

地球温暖化で災害が絶えない昨今だが、地球規模をはるかに越えた脅威は、その外側にもあるということだ。


言い伝え「お盆は溺れるから泳ぐな」は迷信かな?を読んだ。

お盆の時期には海に入らない方が良いという話は昔から聞くし、沖縄では地元の人はこの時期には絶対海に入らない、入っているのは観光客だけだ、ということも聞いたことがある。

この時期は海の彼方からご先祖様達が帰ってくるから、知らずに泳いでいると、あの世に連れていかれる、という迷信が昔から言い伝えられている。

実際には離岸流で沖合に運ばれてしまうのが要因ではないか、とも言われているが、自然の営みは未知だし、人間の思考など及ばないものだ。

お盆の海以外にも、丑三つ時は霊が彷徨う時間だから外には出ないほうが良いとか、昔から祀られている祠を壊そうとすると死人が出るといったことも多々ある。

迷信ではなくても、海抜ゼロメートル地帯に家を建ててはいけない、という碑がありながらもそれを無視して街が出来、地震の大津波で流されてしまったことは記憶に新しい。

科学的根拠に基づいた知見があったとは言い難い事柄でも、先祖達が体験してきたことが真実であるならば、現代人はそれを見落としたことで新たな悲劇を生んでいることになる。

お盆は先祖達が帰って来る時だから、家族で迎え、皆で楽しく、仲良くごはんを食べる。
そんな些細な幸せを、ご先祖様達は一番喜んでいるのではないだろうか。

脳が「嫌いな人」を生み出す驚きのワケを読んだ。

初対面で「この人イヤだな~」と思うことは良くある。
とはいえ、一見で判断してはいかんと思い、思い込みを押し込んで、相対してみる。
話してみて、意外にも良い人だな~と思ったことはあまりない。

一見で「この人良いだな~」と思う人は、話してみてもやっぱり良い人であることがほとんどで「イヤだな~」と思う人は、だいたいその通りなのだ。

先の記事にあるように、人間は一瞬にして自分にとって相手が敵か味方か?といった判断を下しているという。それは野生の勘といっても良いだろう。

相手のイヤな面は、自分の中にあるイヤな面とイコールであることもあるから、全てが脳の思い込みとも言えない気もするが、どう努力してもキライな人を好きになることは滅多にない。

人生の中でキライな人とイヤイヤ付き合っても良いことはなさそうだから、せめてプライベートくらいは心許せる人達と穏やかに過ごしたいと思っている。

コロナ感染者は、緊急事態宣言が出ていた頃より増えている。
春と違うのは若者の感染者が多く、今のところ重症患者が少ない、ということだ。

日本人が、いや人類が初めて罹患したこのウイルスとの付き合い方は未知過ぎるため、何が正解かは誰にも分らない。
確かなことは、国が指定する感染症である、ということだ。

感染力はインフルエンザよりもはるかに強く、若いから重症化しないという定説も覆されているし、一度体内に取り込まれたウイルスは、はしかウイルスのように、免疫力が落ちれば再び顔を出すという厄介なものでもある。

特効薬、ワクチンも今のところないから、対処療法に頼らざるを得ない、あとは自身の免疫力の高さ次第ということになる。

文明が発達し衛生的になったことから、ウイルスや菌に対する抗体が落ちた、という見方もある。
そもそも人間の体内にも善玉菌や悪玉菌が存在し、そのバランス加減で体調の調、不調が決まる。

腸内環境のバランスを整えれば免疫力が高まるというが、コロナウイルスには更なる一手が必要かもしれない。

ウイルスも生き残りに必死だ。

「痴漢された」と娘に相談されたときに絶対に言ってはいけない言葉を読んで、見た目で判断されても仕方ない部分もあるよな~と、若干反論気味。

親が娘から「痴漢された」と告白された時「あなたがそんな短いスカートを履いてるからよ!」と言ってはいけない、ということが書かれていた。

娘の被害に遭ったという傷ついた心に寄り添い、最善策を考えることが大切だということだが、確かにそれも一理あるだろう。

とはいえ、中には制服であるにも関わらず、パンツが見えそうなほど短いスカートにする必要があるのだろうか?という姿で通学する女子学生を目にすると、それじゃあ痴漢に遭っても仕方ないよね、と端からは思ってしまう。

痴漢は犯罪だから決して許されることではないが、学校に行くのに化粧をし、短いスカートを履いていれば、男を誘っている、と思われることもあることを、女子学生は知っておかなければならない。それが、ひいては自分を守ることになるのだ。

校則は学生にとって窮屈なことも多いが、違う側面では、それが自分を守ってくれていた、ということもあるものだ。

10代の若くてピチピチした肉体を世に晒したい気持ちも分からなくはないが、それならそれなりの覚悟がいるだろう。

学生は学ぶことが本分であるのだから、学校に行く時くらいはそんなにおしゃれに気を遣うことはないと思う。そういうことは、プライベートな時間で楽しめば良いのだ。

世の中、良い人ばかりがいるわけではない。その気はなくても、若くてスカートの短い女子学生を見て豹変する人だっている。

妙な誤解や妄想を抱かせない自衛も必要だ。

ここ数年はネットニュースで世間のことを知ることが多い。
その中で疑問に思うのは、芸能人の私生活を切り売りしている記事だ。

主にSNSに公開された芸能人の私生活をネタにしているのだが、スキャンダルネタを含め、正直なところ、彼らの私生活などどうでも良い。

いや、それ以前に、芸能人は「芸」を売ることが商売のはずなのに、今や芸事ではなく、私生活を披露することが商売になっていることに疑問を感じる。

日本には伝統芸能を始め、音楽、舞踊、演奏、演技等々、一流の芸を鑑賞することは、心身の栄養となる。
それらを「芸」と言うはずなのだが、最近は「芸」のない芸能人が多すぎる。

素行が悪くしばらく活動を自粛していたママタレントが復帰か?と報道された直後に、芸能界引退という記事が出た。
彼女を含め、ママタレと言われる人達って、いったい何の芸があるのだろう?

そのほとんどがアイドルやモデルから芸能界の仕事をするようになったのだろうが、若いうちなら芸なしでも微笑ましいが、歳を重ねても私生活を切り売りするしかない人を芸能人というのはやはり違和感しかない。

ネットニュースの見出しに芸能人の弁当や料理がどうのとか、そういうのがトップにあるあたり、日本はやっぱり平和ボケだと言わざるを得ない。

それで金儲けをしているのだろうが、当の本人は恥ずかしくないのだろうか?
私生活が商品というならそれまでだが…。

いずれにしても、このコロナ禍を機に、芸能人の在り方も見直すべきだろう。

「誰?このオバサン」と思ったら鏡に映った自分だった……。ママたちの嘆きが止まらない!は身につまされるが…。

ある日ふと自分の姿を客観的に見た時「老けたな~」と思う時がある。
いつからだっけ?ちょっと前まではもう少し髪の毛も濃かったし、痩せてもいた。今やブヨブヨで張りツヤもなく、見た目、ザ・オバチャンだな~と、ショックを受けつつも現実を受け止めるしかない。

旅行の時は風景は撮っても自分をそこには入れないようにしている。せっかくの景色が自分が入ったら台無しだわ、とも思うし、自分が入った写真など見たくもない。

だが、そもそも劣化は生きている以上避けられないことだし、それが自然の姿だ。
今や美容整形やサプリメント等で若さを維持することはいくらでも可能だが、一見若そうでも、背中が曲がっていたり、膝が折れたまま歩く姿を見ると、そのギャップに違和感しかない。

若く見られたければ、トータルバランスに気を配ったほうが良い。
顔だけとか、胸だけとか、一部だけ特化した若返りはむしろ痛い。

見た目若干見苦しくても、毎日を笑って過ごせていればそれで充分だと思っている。
劣化上等!どーーんとかかって来い!!と、開き直っている。

ハッキリ物言って嫌われる人・好かれる人の差を気にしては生きていけない。

世の中思ったことを100%ズバッ!と言えたらどんなにラクだろうと思うことしばしば。
そうすればストレスもないかと思いきや、案外言ったことを後悔することにもなったりする。

とはいえ、人から言われっ放し、誤解されっ放しではマズイこともある。
自分のことだけならまだしも、周囲に波及するような事柄だったりとか、今ここで言わないと取り返しのつかないことになるといった局面もある。

そこには相手からどう思われるとか、嫌われたらどうしようなどと思ったことはない。
そんなことをいちいち気にしていては、自身を保てないからだ。

人からどう思われるかも大事ではあるが、それよりもまずは自分がどうありたいか、自分は何を真髄として生きているのかを自覚したうえで、それからブレてはいけないと思っている。

ブレてはいけない自分の一線を冒されたら、それはやはり良い意味で闘うべきだ。
そこで大切なのは、感情的にはならず、出来れば相手を傷付けることなく、さらには笑いに変えられる方向性でズバッ!と言うように心がけている。

例えば、若い女性が年配の女性を見下すような発言をした時「そうね~、そういうこともあるよね。でも、よく考えてみて。私もあなたもン十年後には歳を取って、若い子から同じこと言われちゃうのよぉ~」といった感じだ。

人はいつまでも自分だけは大丈夫と思うフシがあるが、他人の粗は意外と自分の粗だったりするものだ。それを陰口叩くのはどうかと思う。

そんな感じで、聞き捨てならないことに関しては、モヤっとしたくないので、嫌われても良いから返すことにしている。とはいえ、話が通じる相手限定だが…。

何を言っても理解出来ない人には、最初から何も言わないことにしている。

緊急事態解除後もテレワークが続いているため、自粛時とほぼ変わらぬ生活をしている。
そんな中、久しぶりに電車に乗った。

休日の朝早い時間のせいか余裕で座れるうえに、7人がけの座席に2人ほどしかいない。
まさにソーシャルディスタンス状態で、これが理想的な現実なのだろう。

車内をボーっと眺めていて、ふと違和感を覚えた。
つり革広告は変わらず掲げられているが、その更に上にある車体の天井近いカーブがかった広告スペース欄に広告がないことに気付いた。

思わず車内中をくまなく確認したが、1つか2つある広告の他は全てブランクだった。
この現象、過去に見たことがあるな…と思い出したのは、2011年の東日本大震災直後だ。

あの頃は広告そのものを自粛する風潮があったが、今回は間違いなく広告を出す側が広告費を削減するために出していないのだ。

こんな光景ひとつで日本の景気が後退していることを確認出来るとは…。

コロナが収束しつつあり、能天気に浮かれてハメを外している場合ではないのだ。
経済を回すことは大切なことだが、振り込まれた定額給付金に肝っ玉が太くなって散財していると、先々泣くハメになるかもしれない。

コロナ第2波、第3波が来た時、今回支給された給付金がまた出るだろうなどと国の体力を当てにしていると、間違いなくそれは外れることを今から肝に銘じておいたほうが良いだろう。

COVID-19の感染が日本でも多く報じられ始めたのは2020年に入ってからで、この半年の間に感染ピークから収束に向けて、実にさまざまな事柄が様変わりした。

通勤における満員電車から1日が始まり、組織の中で自分の役割を勤めあげた後は同僚と一杯、といった日常が無くなった。
エンタメ業界を始めとする娯楽関係にも行けなくなったし、夜の街からもネオンが消えた。
人と会うことが無くなり、誰もが引きこもる生活が始まった。

24時間眠らない街であった都心は、不要不急の分野において眠らざるを得なくなった。

その中で大きな進化を遂げたのはマスクだろう。
それまでは不織布がメインであり、国内生産は全体の1割しかなったそれが、今や畑違いの業界までその生産に取り組んでいる。

マスクは冬に使うものという認識のため、夏に付けるには厳しい側面があるが、さっそく夏に身に付ける素材でマスクを作る業界があり、早くも話題になっている。

私も夏用のマスクとスポーツ用のフェイスマスクを購入し試したところ、息苦しさが軽減されるうえ、通気が良いので汗が吹き出さず助かっている。

コロナのことがなければ、夏用のマスクが生産されることはなかっただろうし、国民のほとんどが夏までマスクを付けることは想像もしなかった。

たった半年の間に起きた事柄を顧みると、2020年はこれまでの歴史にないほどの変化?進化?の年と言えるだろう。

AIが組み込まれたスマホにつき、私の行動パターンや時間帯等を把握している。
自宅にいると内蔵のAIが時々しゃべりかけてくる。

朝であれば「おはようございます」から始まり、今日の天気や気温、電車の遅延情報等々、出勤のため移動すると、移動先で(音楽をイヤホンで聞いていると)「もうすぐ勤務先ですね」とか「今日も一日がんばりましょう!」とか言ってくれる。

仕事帰りには「今日も1日お疲れさまでした。こんな日はお風呂にゆっくり入って疲れを癒してください」なんかも言ってくれる。

大抵は誰にでも当てはまるような言葉をかけてくれるが、それが妙に当てはまっていて癒される。

GPSで行動を蓄積しているのと、撮った写真なども分析しているのだろうか?私の趣味嗜好はほぼほぼスマホの中で完結している。

驚いたのは搭乗前日に飛行機の予約メールを読みあげ、旅先の天気やグルメ情報なども突然喋り出すのだ。ここまでくると、ほぼストーカーだ。

だが、それらも全ては自身の行動歴を分析し情報を提供してくれているから、よくよく考えれば、このスマホの情報は自身の分身と言っても良いかもしれない。

実子やペットが自分に似るように、持ち物であるスマホも自身に似てくるのだろう、いやイコールなのだ。

コロナウイルスに感染し、世間を騒がせた男優が、生死の境を彷徨いながらも無事快復した。
仕事と言いながら沖縄に行って、そこで症状が出たせいで、現地のホテルや店などに多大なる迷惑をかけたことから、多くの人からお叱りを受け、本人も猛省したらしい。

退院し2週間は外出しないよう言われていたにも関わらず、快気祝いと称し、仲間達と飲んだくれた挙句酩酊、マスクもしないまま帰宅したところを週刊誌に撮られた。

この人は本当に懲りないというか、良く言えば悪気が無さすぎ、悪く言えば無知だな…としか言えない。

今回のことに限らず、過去の不倫騒動もそうだが、自分の行為がどれほど世間に影響を与えるか、取り巻く関係者や家族に想像を絶する苦難を味合わせているのか、腹の底から理解出来ていないのだろう。

人は善人と悪人に例えられることがあるが、どっちか一方のほうが分かりやすくて話も早いが、この人のように善人ヅラしたどっちつかずが一番始末に負えない。

周りの好意を大切にするという一見は良い話のようではあるものの、果たしてそれにより今後どうなるのか?本当に好意を受けて良いのか?と逡巡し、それを断る意志がないのはやはり罪だ。

懲りない人というのは、どこまでいっても懲りないのかもしれない。
いやはや…家族は大変だ…気の毒でならない。

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