課題

2024年03月24日

その原因は…

テレビ番組や日常生活で頻繁に目にする「お断り」が気づかせてくれる大切なことを読んだ。

文句を言う人が多くなればなるほど、注意書きやお断り書きが増える。

私が旅行会社で商品を作っていた時、パンフレットの写真には全て「イメージ」の文言を入れていた。
なぜなら「泊まった部屋とパンフの写真が違う!!」というクレームが多いからだ。

細かいところだと、ベッドライナーの色がパンフと違う、飾っている花が違う、扉の位置が違う、窓から海が見えない…等々、数え上げ切れないほどのクレームが来るのだ。

ホテルが工事を行っていてラウンジが使えなかったから返金しろ、とか、乗りたかった乗り物に乗れなかった、とか、天気が悪くて部屋から出られなかった…とか!!

ま~~、信じられないようなクレームを付けてくる者がいる。「知るか!そんなもん!!」と言いたくなる気持ちをグッと堪え、次のパンフではそれらの注意書きが追記されていく。

すると、今度は「パンフレットの文字が小さくて分からない!!」とクレームが。

旅行会社の商品はそもそも定価ではない。
交通機関、ホテルといった商品を正規料金払っていたら、こんな安くで旅行なんて出来ないのに、金は出したくない、サービスは一流を求めたがるのって…まさに「不適切にもほどがある!!」だ。

何も考えずに自分の感情だけでモノを言うクレーマーのせいで、世の中どんどん生きづらくなっている。そうしているのは自分が原因であることに気付かないクレーマー達。
結局は自分の首を自分で締めているだけなのだが…。

enji_152 at 17:07|PermalinkComments(0)

2024年03月21日

甘えられる幸せ

<不適切にもほどがある!>「全部楽しみたいから、今勉強するの」「反抗って結局甘え」 “純子”河合優実の激変が話題に(ネタバレあり)を読んだ。

記事にもあるように「親に反抗出来るのは甘えているだけ」というのは的を得ていると同意する。
自分が中高生だった頃は、このドラマの昭和と同年代だったので、学校は荒れていたし、家庭でも親に反抗していた。

思春期という一言で済ませばそれまでだが、この頃は自分がまだ何者でもないし、知識も知恵もない、自分の未来はどうなるのか?といった漠然とした不安に苛まれる鬱憤を、親や周囲にぶつけていた。

自分に何もないからこそ、多くの学びを得て進むべき道を見付けていくしかないのだが、なかなか「これだ!」と思えることはないうえ、周囲は自分よりどんどん先に進んでしまっているように見えて仕方ないから、見えざる悩みはさらに増大するばかりだ。

そんな鬱憤を親にぶつけられるのって、やはり幸せなことだと、今にしてみれば分かる。
モヤモヤした気持ちを吐き出すことって、他人には出来ないが、親だとなぜか言えてしまう。

親ならそこまで言っても自分を見捨てないと思っているし、親もそんな子供の気持ちを受け止め、寄り添ってくれるという確信が甘えとなって現れるのだ。

今は親にも心の内を話せず、ひきこもりや自暴自棄に陥る生き方をする者が後を絶たない。
辛苦を心の内に秘め溜め込んでいても何の解決にもならない。

暴言を吐く必要はないが、親や信頼出来る人達に、胸の内に抱えていることを話してみることは大切なことだと思う。

時には甘えることも必要だ。


enji_152 at 07:35|PermalinkComments(0)

2024年03月14日

悩ましい悩み

“喫煙者とは一緒に仕事したくない問題”に5時夢メンバー激論 松田ゆう姫「我慢してねってこと?」を読んだ。

今や喫煙者の肩身は狭くなる一方だが、喫煙所では皆さん律儀に、狭い場所にひしめき合いながら、モクモクの煙の中で喫煙している姿を見ると、ちょっと気の毒な気もするが、そこまでしてでも吸いたいのか…とも思う。

タバコの値段も年々上がり、おしゃれなコーヒー屋のそれより高いくらいだし、ある意味高級嗜好品になりつつある。

喫煙の後にエレベーターやオフィスに入って来られると、肺に溜まっている煙が吐き出され、一気に臭くなる。

先日、クリニックの待合室にいた時、大柄な男性が入ってきた。その人が来た途端、待合室があっという間にタバコの臭いが充満し、空気清浄機が置かれているにも関わらず、その臭いたるや!!
どんだけ吸ってんだ!!とも思ったし、衣服もまめに洗濯してないだろうから、瞬時に臭うのだ。

私は男性より先にクリニックを後にし、処方箋を出してもらうため薬局に立ち寄った。
待っている間、数分も経たず先ほどの男性が薬局に現れた。ゲッ!!と思った。

クリニックの医師は時間をかけてしっかり診察してくれるのだが、この喫煙男を長時間診察する気がないのだな、と思った。狭い診察室でタバコ臭のする患者が長時間居るのも、待合室の他の患者さんにとっても害でしかない。

自分は喫煙場所を守ってると言っても、衣服や身体に沁みついた臭いは消せないのだから、そこまで含めて考えて欲しいものだが、そんなことを考えられる人なら、そもそも臭くない。

スメハラもどこまでが許容範囲かは悩ましいところだが、せめて自分は他者に迷惑をかけないようにしたいと思う。



enji_152 at 07:20|PermalinkComments(0)

2024年03月06日

伝え方次第

「私、何か悪いことしました?」と仕事相手からLINE……文末の「!」マークが生んだ想定外の誤解を読んだ。

相手を目の前にして話す時でもそれなりに気を遣うものだが、LINEやメールなどでは、相手のことが見えないだけに、誤解や行き違いを生み出さないための配慮が必要になる。

業務上チャットをすることが殆どだが、たまに攻撃的なチャットを送ってくる人がいる。
それに対し、こちらが感情的になると更に状況は悪化するので、そういう時は一度心を落ち着けてから、客観的な回答を返信するようにしている。

逆にこちらが相手に催促をせねばならぬ時は、相手を責めないように、かつ冷静に締切が迫っていることを伝える必要がある。要は相手が不快に思わず、心を開いて現状を理解、把握してもらうことが大切だ。

記事にあるように、どんなに良い商品であっても、売り手の出方次第によっては「買いたくない」と思うことは結構ある。

先日、家電製品の買い替えを検討しており、時間が出来たので店に商品を見に行った。ネットで多くは調べられるが、サイズ感や見え方はやはり実物を見たほうが良いこともある。

その日は買う気は全くなく、メーカーや型番などによる違いを見たいだけだったが…。そこで対応してくれた店員が嫌みがなくパーフェクトな接客だった。こんな素晴らしい店員さんがいるんだ!と、感動したほどだ。

それ以外にも、自分では思いもしなかった縁があったようで、あれこれ話し込んだあと、その場で即決購入してしまった。

電化製品だし決して衝動買いすべきものではないことは分かっているし、普段なら他社と比較検討したうえでしか購入しないが、この時はそれらを上回る大きな働きというか、そうしなければならない、といった巡り合わせに突き動かされた感もあった。そこで店員に違和感があったら、購入はしなかったことを思うと、これも見えざる力が差し向けてくれた働きの一つなのだろうとも思った。

自分の思いや言葉ひとつで、物事が大きく左右されることを実感した出来事だった。
私も日々の働きがより良い方へ進むよう、伝えることと真摯に向き合っていきたいと思った。


enji_152 at 07:25|PermalinkComments(0)

2024年02月28日

正義を貫くには

部下から直言、上司ならどう対応?有能な人を無能者に変える「欠陥システム」の正体を読んだ。

組織の大義の一つに、経済、社会が潤い、誰もが幸せに暮らしていく、というのがある。
そのために、企業では日々の売上を維持、さらに高めるため、あらゆる方策を思考、実行していく。
行政はそれらが継続・発展出来るよう、税金で国民の生活や、新たな分野を開拓、進展していくようサポートする。

組織であれば何がしかのお題目があり、それを上司から部下へと伝え、具体的な内容を発案、実行に移していく。
お題目に忠実に、周囲の幸せのためにだけ実行されていけば、誰もがハッピーだが、中には必ずと言っていいほど、自分の利益しか考えていない者がいて、そういう者が上司であったりすると最悪な結末にしか進まない。

記事にもあるように、正しいことを進言することは勇気と覚悟がいる。
アホ上司に正直に伝えれば、即座に左遷されるかパワハラ、いじめに遭うか、退職に追い込まれる。

そうなると、日々の生活が立ち行かなくなるので、誰もが正しいことを言えず口を噤んでしまい、アホ上司の言いなりにならざるを得なくなる。
それだけならまだしも、部下が疲弊しまくって上げた成果も、横取りされていくのだから、たまったものではない。

そう考えると、長い者に巻かれて自分の正義を殺し、永遠に後悔し続けるのか?
正義を貫き、その時は傷付くかもしれないが、後悔を残さない生き方をするのか?

家族や守るべき人がいれば、おいそれと正義を貫くことは容易ではない。

私も組織の中で日々忸怩たる思いをすることは多々ある。
正義を振りかざしたとて、どうにもならない事もあるし、時期ではないと感じることもある。
だからと言って、自分の正義を捨てたわけでも、諦めたわけでもない。次のチャンスを伺い、その時が来たら遂行することを心掛けている。

どんなに正しいことであっても、機が熟さないと実行は難しいし、無理に進めれば元も子もない結果になってしまうこともあるからだ。

とはいえ、待ったなし!という事態に遭遇することも稀にあり、その時は覚悟を以て突き進むしかない。

正義と言えども、裏を返せばそれが真逆のものになってしまうこともあるから、やはりよくよく考えて行動することが大事なのだろうと思っている。

enji_152 at 07:44|PermalinkComments(0)

2024年02月22日

自分で気付くことの大切さ

ヤマザキマリ「感情を揺さぶられたくない」から恋愛を避けて映画はネタバレを求める若者たち。これからは笑いに愚痴に忙しい「中年以上の女性」が司る社会になるのかもを読んだ。

この記事を読んで思ったのは「アイのない恋人たち」というドラマにリンクしているな、ということ。
30代前後の男女6人の恋の行方を描いているが、それぞれが恋愛に不器用で、相手と真剣に向き合うこと、心のうちをさらけ出すことに臆病になっており、前に進めずにいる、現代の若者達の忸怩たる思いを表現している。

コンプライアンスによって守られている現代だが、見方を変えれば、言いたいことも言えない、失敗しても良いからチャレンジするといった、冒険的生き方が出来づらくなっている。

幼い頃から養育者が準備したレールの上を走るだけで、自身の欲望や希望といったものに鈍感になっているからか?若者達の覇気の無さ、指導の難しさを感じる。

職場で20代前半の男性がふとした瞬間に苛立ちを露わにした。
「何イラついてんの?」と、あえて聞いてみた。昨今であれば、そういうことも見て見ぬふりをすべきだろうが…。

すると、彼の顔がパー!っと明るくなった。苛立ちの原因を聞いて欲しかったようだ。
その後、彼の鬱憤らしきものが口を付いて出た。私は「そうなんだ~、そういうこともあるよね」と彼の思いを肯定しつつ「だけど、こっちにはこういう面もあるよ」といった、彼が見えていない裏の部分について客観的視点から返してみた。

「めっちゃポジティブですね~」と彼。
苛立ちの原因も、考え方次第でポジティブになっていくことに気付いたようだ。

就業中は相手が話してこない限り、プライベートな話はしづらいし、こちらから話しを振ることもしづらい世の中だが、若者には若者なりの思いや悩みがある。それをもっとフラットに話しやすくなると良いのにな~とも思う。

記事にあるように、おばちゃん世代の私は、若者達にも些細な事でも声をかけるようにしている。
挨拶やその人の良い面、ちょっとした一言でその人の心が軽くなることもあるのだから、まずは当たり障りのないようなことから会話をし、そこから深堀りする関係が築けていけたら良いのではないか、と思う。

他者とのコミュニケーション不足で、若者達が殻に閉じこもらざるを得い状況になっている現代。
人生のレールを敷き過ぎることは、却って窮屈な生き方を強いることになる。
真逆の育児放棄では困るが、その辺の塩梅を見極め、個々の適性が生かされるヒントを与えられる大人でいたいと思っている。

enji_152 at 07:32|PermalinkComments(0)

2024年02月17日

贅沢な悩み

給食ふりかけ持参で生徒と市議会が対立「食べ残しの問題がふりかけに集約されてしまった」「決め方に危機感を持っている」を読んだ。

給食論争は今も昔も似たようなことで揉めるのだなと思った。
全員が同じ食事を一緒に摂ること自体無理な話だと思うのは私だけだろうか?

好き嫌いやアレルギー、食の細さなど、人それぞれなのに、栄養価を計算した身体に良い給食を提供しているのだから、残さず食べろ!というのも、ある種の虐待ではないか?とさえ思えてならない。

私も子供の頃は食べられないものや、どうやって食べて良いのか分からず困っているうちに、給食を食べ終えた子達が次々と校庭へ行ってしまい、遊ぶ姿を見て羨ましく思ったものだ。

成長期の子供だからこそ、きちんとした食事で心身を作ることはもちろん大事だが、その子の成長の度合いや、好き嫌いまではいかなくても、身体が受け付けない食材などもあろうかと推察すると、一律に給食というのも考えものだと思う。

だからと言ってお弁当持参となると、今度は親が大変になるし、家庭によっては弁当など作らない親もいるし、給食だけが唯一の食事といった貧困家庭の子供がいるのも現状だ。

学びの場もそうだが、一律に皆平等に同様のものを提供したところで、人によってその受け止め方は千差万別なのだから、その辺はもっとフレキシブルでも良い気がする。

大人になって偏食や暴飲暴食をしている者など五万といる。それでも、皆何とか毎日元気に?生活している様を見れば、ガチガチに管理された給食とは?とも思わされる。

食べたくても食べ物がなければ、こんな論争などそもそも起こらない。
あまり余るほどの食材に恵まれていることに感謝し、多くの命をいただいて生かされていることに、まずは目を向けていきたいものだ。

enji_152 at 10:54|PermalinkComments(0)

2024年02月08日

前例踏襲は打破するべし!!

「不適切にもほどがある」会社の迷惑ペーパーレスに共感続々「上司が紙でくれ」「無駄な仕事増える」「各自プリント」「まじ分かる」に賛同!!

またしてもこの番組ネタだが、第2話で仲里依紗さんが歌ったこの話題。マジで同感だ!!!

職種にもよるが、私はプリンターを使うこともほぼないし、資料も全てPC内で閲覧する。
プライベートにおいても資料等は全てスキャンしてPCに保存し、紙で送られてきたものもスキャンして廃棄する。そうすれば部屋も物が増えなくて済む。

職場だと上司がプリントアウトして必要な個所にマーカーまで引いて読み込む始末。
そんな読解力ないんかい!?と突っ込みたくなるほどだ。

資源の無駄遣いを無くすためにもペーパーレス化が叫ばれているのに、画面を適切に扱えない、老眼で見えづらいといった理由でプリントアウトしたものを欲しがる上司達。こういう人達が高い給料もらってるのも納得いかないし、ここまで来ると介護の域でしかない。

情報は職場のイントラやネットにほぼ載っているのだから、自分で検索するなり、必要なものはプリントアウトしやがれ!!!と、マジで言いたい。

以前勤めていたところで、日々変動する情報をA3にプリントアウトして壁に張り出す、というものがあった。その情報はホームページで毎日更新しているのに、それを強いる上司にアホくささしか感じず、ホームページ見てください!と言って却下したことがある。

高齢者は変化を嫌がるが、そのためにこちらの仕事が増えるのは本末転倒だ。
若者達も不要なことは声を上げて良いと思う。それで評価が下がったり、左遷されたりしたら、そんな職場はとっとと辞めれば良い。なぜなら、そんな旧態依然とした職場には未来がないからだ。

時代の進化に付いて来ようとしない高齢上司…マジで迷惑だ。

enji_152 at 07:49|PermalinkComments(0)

2024年01月31日

叡智と自衛

なぜ日本人は「理不尽」を受け入れてしまうのか…学校から「いじめ」がなくならない理由を読んだ。

集団社会において、大人でも子供でも、いじめは永遠に無くならない。
それが普通と思ってしまうのは、記事にあるように良くないことなのは分かるし、いじめがないほうが良いとももちろん思う。

いじめの原因は、日本人の遺伝子、ひいては人類の遺伝子に刻まれていると考える。
古代、人は洞穴のような場所で暮らし、野生生物に襲われないよう、息を潜めて生きていた時代がある。

その頃も人は集団で生きていたわけで、そんな中、一人でも動物に襲われるような言動を取ったらどうなるか?集団もろとも襲われてしまうこともあっただろう。

その頃から人類は周囲に同調し、助け合いながら命を繋げてきた長い歴史があるから、輪を乱すものを疎ましく思い、それがいじめの原因になっているのだろうと推察する。

余談だが、ミーアキャットでさえ、仲間と同調しない個体は群れから追い出すのだ。
動物でさえそうなのだから、人間も同様なのは、ある意味必然だ。

戦争や紛争がこの世から無くならないのも同様の考え方だ。
他民族から襲われたり、虐げられたりすれば、自分達の生命が脅かされ、それを防ぐには応戦しかない。

いじめも戦争も、身の安全を図る、そこが原点だと考える。
人間は知恵のある生き物であるにも関わらず、人としての野生の勘は衰えていないのだ。

そのうえで、現代の人類はそれらとどう向き合っていくのか?
叡智を結集して解決する道を模索しつつ、どうしたらいじめに遭わないで済むか?自衛も必要になってくるだろう。

enji_152 at 07:26|PermalinkComments(0)

2024年01月30日

更新は?

「桐島聡」死亡、事件で妹亡くした男性「発見が遅すぎた」…「彼らの思想は理解できない」を読んだ。

半世紀に亘って指名手配されていた男が、最期に自身の素性を明かし亡くなった。
最期に仏心が生じたのか?何かを悟ったのかは分からないが、長い年月、自身を偽り続け息を潜めながら生きることは、相当にしんどいことだったろうと思う。
ならば自首すれば良いと思うが、それも出来ないまま年月だけが流れてしまった…ということだろうか。

派出署や警察署、街の掲示板などに良く指名手配の写真が掲示されているが、この件については、あまりにも若い頃の写真であり、どう見てもこれじゃあ捕まるわけがない。

年月を経れば顔つきも体形も変わるのだから、それ相応の年齢を加味した加工、更新が必要ではないだろうか?

令和4年の犯罪件数は60万件を超えており、検挙率は25万件ほどだ。
検挙されてない事件のほうが多いことを考えると、指名手配犯の写真の更新にまで手が回らないというのが本音かもしれない。

映像、画像加工技術は日進月歩進化しているのだから、これからはこういったものもアップデートされるべきだし、そうでなければ、いつまで経っても検挙されないままだ。

罪を犯した者が逮捕されることなく逃げおおせたとしても、自身の心には一生消えない呵責として残っていく。それに耐えきれず、男も告白に至ったのだろう。
もし逮捕されていれば…男の最期はまた違ったものだったかもしれない。

被害者の冥福を祈ると共に、罪を犯した者はそれに見合った償いが出来ることを願うばかりだ。

enji_152 at 07:19|PermalinkComments(0)

2024年01月28日

大ごとになる前に

高齢の父が事故を「3回」起こしたのに運転やめず…苦悩する家族、どうすれば?は他人ごとではない。

運転免許に限らず、高齢になると人は頑固になりがちだ。
我が家の父もそうだったが、いつまで経っても現役時代の常識を振りかざし、周囲の意見を聞く耳など全くなく、生きている頃は毎日辟易していた。

人は歳を取れば取るほど自分の殻に閉じこもり、思いを押し通そうとする。
それは、かつての栄光が忘れられないからか?時代に乗り遅れた自分を認めたくないからか?世界は自分を中心に回っていると思っているのか?いずれにしても、ただの迷惑頑固ジジイでしかないのだが…。

自分の半径数メートル以内でジタバタするくらいなら被害も家族止まりだろうが、交通事故となればそれこそ一大事だ。
記事にあるような超頑固ジジイであれば、事故を起こしたことさえ認めず、相手のせいだと喚き散らすのも容易に想像がつく。

認知症になったら強制的に免許更新が出来なくなっているようだが、こういう人は、そういう時だけ一瞬まともになったりするからたちが悪い。

認知症といっても、まだらボケだったり、一瞬まともになったりすることもあり、特に他人が介入する場面では、しごく真っ当なことを言ってのけたりするのだ。そうすると、周囲も「この人はまだ大丈夫ですね」と勘違いして帰っていく。

いやいや、そうでなくて~~!!!と、ツッコミたくなるわけで、こうなると、24時間見守りカメラでも付けておいて、数週間モニタリングしてもらい、普段の言動を監視してもらうくらいのことをしないと、真の判断は出来ないのではないか?とさえ思えてくる。

いずれにしても、事故が起きてからでは遅いので、その辺の法整備も速やかに行って欲しいものだ。
田舎に行けば行くほど、車が無くては生きていけない現実、この問題も早急に解決すべき事案だ。

高齢者ほど交通網の便利な都会に住むことをオススメするが、歳を取ってから都心に出るのは億劫だろうし、現実的でもないだろう。

長寿がもたらす新たな課題を、どう乗り切っていくのか?日本社会の大きな課題だ。


enji_152 at 16:11|PermalinkComments(0)

2024年01月26日

安泰はない

「織田信長」は何がすごかったのか…多くの人が意外と見落としがちな「注目すべき戦略」を読んだ。

人は好むと好まざるとに関わらず、生まれた時からもれなく教育が付いて回る。
保育園や幼稚園に入れば、他者から多くのことを学び、年を重ねれば、小学校、中学校…と、さらに学びの場が広がっていく。

子供の時は日々変化が多くあり、それに付いていくのに必死だが、大人になり、ある程度仕事に慣れてくると、日々の変化は減っていく傾向にある。

が!そこが落とし穴だとつくづく思う。

同じ仕事、同じ毎日の繰り返しのようであっても、組織であれば人事異動や組織改編、業務改善といった変化がある。一見、ピンポイントの変化のようだが、変化が起きるまでには日々細かい軌道修正がなされ、来るべき時になるとそれらが動き出すのだ。

家庭を持てば家族構成も変わるし、子供が生まれればめまぐるしい変化の連続だ。
子供が成長して自分の手を離れると、今度は自分が老いるうえ、さらに老いた親の介護も待っている。

こう考えると、日々の生活に変化のない者など誰もいないわけで、それは学校や職場、何がしかの組織でも同様だ。

天下を手中にしたとしても、日々の鍛錬を怠れば、あっという間に足元をすくわれる。
今や世界を牛耳ったかのような錯覚に陥っている某国の独裁者も、いずれは歴史上悲惨な末路を辿った者達と同様の未来が待っている。

人生は栄枯盛衰の繰り返しだ。
枯衰へは簡単に転がれるが、栄盛を保つことは容易ではない。
結局のところ、何の労もせず、安泰な人生を手にすることはあり得ない。

安泰な人生を送るには、日々の変化を恐れず、たゆまぬ鍛錬を積み重ね、それらを楽しみ続けることが肝だと思っている。

enji_152 at 07:29|PermalinkComments(0)

2024年01月19日

時間は有限

「大学生時代が知的レベル最盛期」の人がこれから見直すべきことを読んだ。

この記事にあるのは「日本人男性の時間の使い方が下手」というもので、社会人になって周囲の同調圧力に押され、ダラダラと残業するのが評価に繋がると思い込んでおり、土日もアホ上司のゴルフに付き合わされたりといった、狭い社会の中でつるんでいることの無意味さに気付いていない、気付いても改善しようとしない、というものだ。

子供を持つ母親は、朝からフル稼働で家事をこなし、保育園に送り、職場に行ったら段取り良く業務をこなし、そのお迎えまでにはキッチリ退社する。

家事、育児が女性の仕事というのは昭和までの話であり、今やそれらは男女平等に分担すべきであり、出来ないなら出来るよう工夫し、努力していかなければならない。

男性は母親に甘やかされて育ちがちなので、家事が出来ない者が多い。
生きていくうえでの術を教え込まない母親のエゴであり怠惰でしかないのだが、困るのは子供であることに気付かないのだから愚かとしか言いようがない。

男女問わず1日24時間しかないのだから、出来ることには限りがある。
周囲の顔色ばかり窺って、無駄に時間を費やすことの何ともったいないことか!!

この世に何のために生まれてきたのか?自分の使命は何なのか?
今やるべきことをきっちりこなしていかないと、老いてから困るのは自分なのだ。
定年後に濡れ落ち葉となり、妻から離婚を突き付けられ途方に暮れることになる。

生きていくうえでの家事、育児はマストであり、誰にも変わってもらえないのだから、腹を括って事に当たりつつ、それらを楽しめれば、人生は更に豊かになっていくのだ。

enji_152 at 07:36|PermalinkComments(0)

2024年01月16日

狭い空間をどう仕切るか

ビートたけしが語るJAL機炎上事故“ペット問題”「動物は家族だ」という主張にどう応えるべきかを読んだ。

1月2日に起きた、海保機とJAL機の衝突事故は衝撃的だったが、JAL機の乗客、乗員が無事脱出出来たことは、まさに奇跡と言っても過言ではない。

そこで唯一犠牲になったのがペットだが…。
ペットといえども一つの命であるし、飼い主にしてみれば家族でしかない。
自分が助かっても、ペットの命が助からなかったことを、飼い主は言葉にはしなくとも、悲しみに暮れていることは容易に想像出来る。

ペットを空調の効いた貨物室に預けることは、ある意味仕方のないことではあるし、預ける先が無くて仕方なく一緒に搭乗する事情も分かる。

どちらかを責めることは出来ないが、記事にあるように、ペット同伴の席を設けるといった工夫は一案だと思う。

いつも搭乗していて思うのは、必ずといっていいほど泣き叫ぶ子や前の座席を蹴る子供のことだ。
子供が泣くのは仕方のないことだが、搭乗時からずっと泣かれると、親も周囲もクタクタになってしまう。理性では分かっていても、この問題はどうにかならないのかと…。

座席を蹴ったり暴れたりする子供は、普段の親の躾が出来ていないことが丸わかりで、こちらもどうしようもないのが現状だ。

親がやることなのでどうこう言えることではないが、エコノミークラス以外の席に子供がふんぞり返っている姿を見ると、ギョッとする。親がその席に座りたいから、子供にも…となるのは必然ではあるものの、幼い時からこういう贅沢はどうなのだろう…と。

幼い子連れ親子は優先搭乗で最初に機内に入れるのだから、後ろの席にまとめておくとか、そういうふうには出来ないのだろうか?と、批判されることを承知であえて提案したい。

たかだが数時間の飛行時間とはいえ、ストレスに晒される側にしてみると…何とも悩ましい課題だ。

enji_152 at 07:30|PermalinkComments(0)

2024年01月12日

子は親の鏡

「叱らない親」「怒らない親」に育てられた子どもはどう育つ? 子育てアドバイザーが示す“懸念”を読んだ。

私が子供の頃は、親は同然のこと、祖父母や近所の人からしょちゅう叱られていた。
子供は無知なので、悪気もなく、大人から見たら悪いことをしがちだ。

最近の子育て世代の親達を観察していると、まともに叱れる人が少ないように感じる。
子供とどう接して良いのかが分からないのか?放置または激高、この2つを良く目にする。

例えば公共施設において走り回る子供を諫めることもなく、スーパーで商品を手あたり次第触りまくっていても知らんぷり。そもそも親はスマホに夢中で子供に注視していないのだから、話にならない。

そうかと思えば、子供の一挙手一投足にいちいち反応しては金切声をあげて激高する親もいる。
そんな子供を見ると気の毒でならない。

日本人は子供を所有物と考える親、特に母親が多く、海外ではあり得ない発想だ。
確かに母親が産んだ子には変わりないし、天塩にかけて育てるのだから、そういう発想になるのも分からなくはないが、所有物として扱うということは、子供の人権を無視しているのと同意だ。

我が子であろうとも、別人格であることを前提に育てないと、親の歪んだ愛情で子供を苦しめることになる。

親の賢さによって、子供の成長は大きく左右される。
叱るべき場面では正しく叱ることは必要だ。親が感情的になって怒っていては、元も子もない。
とはいえ、怪獣と化したちびっこギャングを冷静に諭すことは至難の業だ。

人として正しい導きをするには、赤ちゃんの頃から、いやお腹にいる時から話しかけ、愛情を注ぐことが必要だ。赤ちゃんは何も分かっていないと思うのは、大人のエゴだ。

赤ちゃんは母親の胎内で周囲の環境を把握し、人格が形成されていくのだ。
命が宿った瞬間から子育ては始まっているのだから、最初の一手をどう取り組むかで、将来、むやみやたらに叱らなくても済むことに繋がる。

子供は親の鏡だから、子の姿を見て親がわが身を振り返り、子と共に成長していくこと、それと真摯に向き合っていれば、子を叱ることも減るのではないだろうか。

enji_152 at 07:42|PermalinkComments(0)