前世|今世|未来へ

今感じていること、成していることが未来を作っています。
今は、過去、前世から継がれたことでもあると感じています。
前世、今世、未来に向けて、日々感じたこと、そこから起きている事柄を綴っています。

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久高島2019-9のつづき。

フボー御嶽で祈りを捧げた後、レンタサイクルを返却すべく、港待合所に戻ってきた。
返済時きっかり2時間で、あやうく延長料金がかかるところだった。
ぴったり2時間で戻って来れた、というのもなかなかの神業?だ。ありがたい!!

港周辺には野良猫もいるが、どの子も人懐っこい。おそらく観光客からかわいがられているのだろう。
何匹かと憩いのひとときを過ごさせてもらった。
最後の最後まで神様のおもてなしを受けたようで、ありがたくもったいない時間を過ごすことが出来た。

何しろこの日は曇りのち雨の予報で、空には重たい雲が立ち込めていたので、いつ雨が降ってもおかしくない模様だったが、久高島にいる間は一度も雨に遭うことはなかった。
これまた、神様の計らいと感謝しきりだった。

次はいつ来れるか分からないが、久高島の神様に呼んでいただけるよう、これからも日々精進したいと思えた旅となった。


20191216

久高島2019-8のつづき。

レンタサイクルを2時間借りていたが、のんきに景色に見とれながらお昼を食べていたら、タイムリミットが近付いていることに気付いた。

本来なら最初に参拝すべきだったフボー御嶽にまだ参拝していない。
島の神様にきちんと挨拶もしないまま帰ってしまうなんて、とんでもないことだ。

フボー御嶽は沖縄の七大御嶽のひとつで、男女問わず立ち入りが禁止されている聖地だ。
だが、近年ではそこに足を踏み入れる非常識な観光客があとを絶たないと、ニュース番組で目にした。

立ち入った人にインタビューしているのを見たことがあるが「せっかく船に乗ってここまで来たのに、なぜ見せない?」と、逆切れしているおじさんがいた。

私がフボー御嶽近辺にいたところ、観光客であろうと思われるおじさんに「ここには何があるの?」と聞かれたので、「うたきがありますよ」と言うと、「うたき?」と、御嶽の存在さえ知らないようだった。御嶽を知らないとは…。何も知らずにこの島に来るその心理は不思議だ。

フボー御嶽を目指し、看板の近くに自転車を止め、立ち入り禁止の手前で手を合わせた。
聖地であり、よそ者の観光客の私が立ち入るなんて、恐れ多い。
手前で拝めるだけで、とてもありがたいことなのだ。
無事に久高島に渡れたことをお礼申し上げ、今後の久高島のお守りを祈らせていただいた。

かくいう私も久高島のパワーを浴びたくて来ているのだから、先の物見遊山のおじさんのことを悪く言えた義理ではないが、せめてこの島の成り立ちやマナーは守ること、それがよそ者の努めだと思わされた。

20191215



久高島2019-7のつづき。

カベール岬を後にし、今度は往きとは反対の道を走った。
途中ロマンスロードと呼ばれるサイクリングロードがあり、眼下に美し過ぎる海を眺めることが出来る。

途中休憩出来るような広場あり、テーブルベンチもあったため、羽田空港で予め購入していたお弁当で昼食を取ることにした。

ベンチに腰を下ろしても、美しい景色を眺めることが出来る。
周囲は風が強かったが、ベンチ側に植えられた樹木のおかげで風が遮られ、贅沢なシチュエーションでお弁当を食べることが出来た。

これほどのんびり、ゆっくりと食事が出来ることは贅沢の極みだが、帰りの船の時間もあるので、頃合いを見てこの場を後にした。


20191214

久高島2019-6のつづき。

巨大ガジュマルに名残を覚えつつ、沖縄の祖神アマミキヨが降り立ったと言われるカベール岬に到着した。

岬の彼方から強風が吹きつけてくる。
青く透き通った波間からは、グワングワンとしたエネルギーが湧き立ち全身を突き抜ける。
それは風だけではない、まさに強い強いエネルギーの塊だ。

カベール岬の突端はかなりの強風ではあったが、そこに無事に辿り着けたことに感謝の思いが湧いた。
神話の真実は誰にも分からないが、そこが普通の場所ではないことだけは肌で感じる。
これほどまでに強いパワーを放つ場所はそうそうないだろうとも思った。

前回ここに立ったのは5年前。
5年後、こうやってここにいられることに不思議な縁を感じた。

20191212

久高島2019-5のつづき。

紫色のヤドカリに別れを告げ、引き続きカベール岬を目指し一本道をひたすら自転車を漕いでいると、突然視界が開けたと同時に、ドーーーーーン!!!と、どでかいガジュマルが現れた。

威風堂々としたその佇まいに、黄門様の印籠のように、ハハーーー!!と頭が垂れる思いがした。
自転車を側に止め、偉大なる島の主のようなガジュマルを見上げると「それ以上は近付くな!」と言われたような気がした。

ガジュマルの大木の側は道が三差路に跨っていて、海からの風が島の内陸に向かって吹き抜けていく、その流れがまるで何かのパワーのように感じた。

ここは人間が簡単に触れてはいけない場所なのだと思わされた。
私は遠巻きにしながらこのガジュマルに感謝し、しばしそこに佇んだ。
ガジュマルを取り巻くパワーの渦は半端なく、このままここにいると気あたりしそうだと感じたので、長居はせず、再びカベール岬を目指すことにした。

20191210

久高島2019-4のつづき。

イシキ浜を後にすると、カベール岬までは真っすぐ一本道だ。
ゆっくり自転車を走らせていると、周りの景色も眺められるし、島の空気を肌で感じることも出来る。

前方を見ながら走っていると、何か動く物体が目に入った。
私が急ブレーキをかけると、後ろを付いてきていた友達が「何?どうした?」と私の側にやってきた。

「見て、見て、何か動いてるよ!」と指さした先にいたものは…。
大きなヤドカリだった。しかも、紫色だ。

近付くと足音の振動でヤドカリは殻に籠ってしまったが、そこは滅多に車は来ないとはいえ道のど真ん中。こんなところにいたら、轢かれるかもしれないと思い、ヤドカリを脅かさないように、道の端の茂みへ誘導した、というかそこに行くように、ヤドカリの後方から前進するよう手で風を送った(もちろん触れてはいない)。

ようやく草むらの茂みに入ったところで、滅多に来ないであろう車がカベール岬の方からやってきた。
ドライバーにヤドカリがいるから踏まないようにと、ヤドカリがいる箇所を走らないよう誘導した。

ドライバーは何のことやら?といった顔をしていたが、もし知らなければヤドカリを轢いてしまっていただろう。

紫色のヤドカリはどう思ったか知らないが、小さな命を守れたことにホッとした出来事だった。

20191209

久高島2019-3のつづき。

ピザ浜を後にし、再び自転車を5分ほど走らせると、今度はイシキ浜の看板が現れた。
先と同様に脇道の側に自転車を止め、浜へ歩を進めた。

視界が開けると、ピザ浜からさほど離れた距離でもないにも関わらず、海の雰囲気が全く違う。
さきほどはちょっと激しい感じだったが、ここはとても穏やかなのだ。
風も波も、砂浜もなぜだか穏やかそのもの。波の高さも変わらないのに、こうも雰囲気が違うとは…。

あまりの気持ち良さに、持参したシートを浜辺に広げ、海に向かって座り込んだ。
目を瞑って波と風の音だけを聞いていると、心も穏やかになる。
全身に優しいエネルギーが蓄積されていくのが良く分かった。

イシキ浜は、ニライカナイ(理想郷)から五穀の種が入った壺が流れ着いた伝説の場所で、この種から琉球の農耕が始まったと言われている。

そんな神聖な場所だからなのか?恵みのやってくる伝説の地だからなのか?穏やかで温かな空気を感じることが出来た。

20191208




久高島2019-2のつづき。

レンタサイクルを借りて、海沿いの小道を走った。
島の集落へと繋がる道は舗装されているが、ここは砂利道だ。

ゆっくり自転車を5分ほど漕ぐと、ピザ浜の案内板が現れた。
人が一人通れるくらいの小道の奥に青い海が見える。
自転車を脇道の側に置いて、徒歩でビーチへ向かった。

海から吹いてくる風は野性味を帯びており、浜の景色も少し力強さを感じた。
誰もいないその場所でしばし身を委ねた。

吹く風と波の音だけが響く世界。
普段慌ただしい毎日を送っている日常とは真逆の世界に、久高島に無事に来れたのだと思わされたひと時だった。


20191206

久高島2019-1のつづき。

無事に久高島の徳仁港に到着した。
徳仁とは、令和の天皇陛下と同じ名前だ。
恐らく、港のほうが命名は早いであろう?と思うと、何だか意味ありげだな~と邪推してしまう。

琉球王朝時代は、王様が女装をしてまで詣でた神高い島なので、現代の王様が詣でていても不思議ではないだろう(あくまでも想像)。

久高島に到着したら、自転車で島を巡るのが定番だ。
中には歩いて巡る強者もいるが、私は自転車を借りることにした。

久高島は猫が多いことでも有名だ。人を怖がることなく、近付いてきてくれる。
きっと、観光客からおいしいものをもらっているのだろう。

港に到着早々、都会での慌ただしさがウソのように、ゆったりした時間を過ごすことになった。
前回は集落から自転車を走らせたが、今回は海岸沿いからお邪魔させてもらうことにした。


20191203

5年ぶりに久高島へ行くことが出来た。
これまで沖縄本島に行っても、なかなか南部をゆっくり回る機会がなかったが、今回は那覇空港に到着したその足で久高を目指した。

羽田空港を朝6:20の飛行機で発ち、那覇空港に9:30到着予定だが、着陸後の荷物のピックアップや、レンタカーの手配などもあり、安座真港11:00発、久高島行きのフェリーに乗れるかは微妙だった。

レンタカーをゲットし運転を始めたものの、安座真港への到着は11時ぎりぎりになりそうだった。
運転手の友達が「飛ばすね!」と言ってくれたが、「それはしなくて良いよ。久高の神様には行きたいと願っていたから、お許しをいただけるようなら必ず間に合うから、安全運転でお願い!」と頼んだ。

途中渋滞にハマることなく、安全走行であったが、港には11時10分前には到着した。
急いでフェリーのチケットを購入し、無事に久高島へ渡るフェリーに乗り込むことが出来た。

天気は曇っており、波も少し高かったが、フェリーで25分かけ久高島に到着した。

20191202

今回の与論島再訪で改めて気付かされたことは、自然の美しさと偉大さだ。

前回初めて訪れた時にも大いに感動したが、今回もそれらを上回った。
歳を経て感じることが増えたせいか?前回の感動を忘れていたせいか?かもしれないが…。

島はリーフに囲まれているから、どこまでも穏やかな波が打ち寄せる。
そこにボーッと身を置くだけで、体内細胞のひとつひとつが目覚めるような感じさえした。
島の食材でいただいた食事もおいしかったし、それを身体が喜んでいることも感じた。

何から何まで楽しく、満足な旅だった。
またいつかここに来れることを楽しみにしながら、今回の旅の話は終わりにする。

20180402与論島10

与論島では畜産が盛んで、牛の数は人口とほぼ同じ数になる。
町並みを外れると、広い放牧場や牛舎を良く目にする。
島の匂いも、牛のニオイがするくらい、畜産に力を入れていることが分かる。

12年前に私が与論島を訪れた頃は、人口より牛の方が多いという話を聞いていたので、この何年かで人の方が増えたのだろう。
町並みは以前より栄えていたし、道路整備も拡張された様をみると、人の推移が良く分かる。

島をドライブしていると、突如現れたのが写真の島のオブジェだ。
調べたところ、翔龍橋の近くの広場に、2010年に突如現れたオブジェだそうで、その詳細は不明のようだ。そのインパクトの強さに、思わず車から降りて写真を撮ってしまった。

牛のオブジェ以外看板等の説明もないため、何ともフシギな空間に迷い込んだように感じたほどだ。
これもまた、与論島の新たな名物になるのだろうか。

20180401与論島9

沖縄三味線である三線(さんしん)を習っているが、その中で「十九の春」も習った。

この曲は、沖縄の流行歌で1972年にレコード化された曲であるが、この元となったのは、与論島で作られた与論小唄と言われている。
与論小唄は、昭和の始め頃に福岡の炭鉱の女性達が歌っていた「ラッパ節」の替え歌としえ、与論島に伝えられたもので、そこから独自の進化?を遂げたようだ。
それが第二次大戦前に沖縄に伝わり、那覇の遊郭で流行った歌となった。

「十九の春」の歌詞は、妻のいる男性を好きになった女性が、今更別れるなら出会った頃の19に戻して欲しい、こんなにあなたのことが好きなのに、あなたには奥さんがいる…といった結構ドロドロしい曲だが、メロディーが能天気?なので、そんな陰鬱さは感じない。

そんな曲の元祖が与論島にあったということで、その碑にもお目にかかることが出来た。
1曲にも歴史あり、だ。

20180331与論島8

与論島の歴史や文化に触れられる「与論民俗村」へ行った。

古代の人々が暮らした家や焼き物、道具などが展示されていて、その時代を垣間見ることが出来る。
経営者であるご主人が敷地内を案内し、詳しく説明をしてくれる。
地元で生まれ育った人でなければ知り得ないことを教えてもらった。

与論島の昔の建物は茅葺が一般的で、琉球瓦を使った家は少ないそうだ。
島独自の文化が、家にも表れていることを知った。

芭蕉布(沖縄、奄美地方の織物)は、バナナの葉から出来ていた、という話には「え?」と耳を疑った。
物の資料には、イトバショウから採った繊維とあるが、バナナの葉からも取れていた、ということだそうだ。

先人達は島の恵みを存分に生かしながら生きていたことが窺えた。
与論民俗村、ぜひ行って欲しい場所だ。

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与論島には、15世紀頃に建てられたと言われる与論城跡がある。

今は石垣のみが現存しており、広い敷地を囲んだ跡が残っていた。
標高も94メートルと決して高くはないが、島では一番の高台のため、眺めは抜群だった。

与論城に隣接する琴平神社は、そこも城跡の一部のようであり、島で唯一の?大きな神社だった。
昔は金刀比羅大権現だったが、明治時代以降、菅原神社、厳島神社を合祀した神社になったそうだ。

与論城の詳細も不明だが、琉球列島の真ん中に位置し、その繁栄に貢献していたのかもしれない。はるか彼方のいにしえに思いを馳せることもまた、旅の楽しみだ。

20180329与論島6

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