前世|今世|未来へ

今感じていること、成していることが未来を作っています。
今は、過去、前世から継がれたことでもあると感じています。
前世、今世、未来に向けて、日々感じたこと、そこから起きている事柄を綴っています。

カテゴリ: > 九州

小倉城を見学した後、門を出ようとした時、目の前を大きな鳥が通り過ぎ、側の城壁に止まった。
よく見ると、鷺のようだ。

白でもなく、黒でもなく、美しいグレーのグラデーションをまとった鷺だ。
城壁の端に立っている姿があまりにも美しく、思わずシャッターを押してしまった。

しばらくは微動だにしないため、じっと見ていると、まるで置物のようにも感じる。
だが、時には頭を軽く振ったり、よじったりする姿はかわいらしい。
ひとしきり動いた後は、やはり前を見据えて、佇んでいる。

その佇まいの美しく、凛々しいこと。
人間の所作も、かくのごときでありたいと思わされた

20160503鷺

連休中、福岡にいた。
そのうちの1日、小倉散策を楽しんだ。

小倉は、毛利家が礎を築き、関ケ原の戦いで勝利した徳川軍の細川忠興によって、1602年から7年間に亘って築城されたそうだ。

現存のものは昭和34年に再建され、内部も平成2年に近代風に改築されたものだ。
改築以前に一度行ったことがあるが、その時は内部も薄暗く、急な階段や、遺品なども多く展示されていて、かなりおどろおどろしかったが、今回はあまりにも近代的になり過ぎていて、外観以外は情緒のない展示室のような風情に変貌していた。

子供達が歴史を学ぶ場としては、その一旦が垣間見えるのかもしれないが、当時の面影は…う~ん、といった感じに変わっていた。

400年前の建物を残すことは物理的に難しいことではあるが、本物の歴史を残すには、少しでも当時のものが残っているほうが説得力があるように思う。

日本史の幕末をお好きな方には、一度は行ってみても良い所かも…

201160502小倉城

宗像大社の近くを車で通った時、呼ばれたように感じた。
翌日、さっそく参拝させていただいた。

宗像大社は「天照大神」と「スサノオノミコト」の間に授かった、3人の娘をご神体とした社だ。
長女は世界遺産暫定リストに登録された「沖ノ島」を、次女は「大島」を、三女は「宗像」を守る神様だ。
現在は平成の大造営が行われており、本殿は仮殿となっている。

宗像大社に着いた時は小雨が降っていたが、仮本殿に近づくにつれ雨が上がり、社で神様にお礼を申し上げていると、ご神木に陽が当たり、まさに神様が降臨されたかのような神々しさを目の当たりにした。

その後、沖ノ島、大島の神様を祀る宮にも参拝したのだが、そこに近づくにつれ、これまで以上のパワーを感じた。宗像大社の敷地に入った途端、気が満ち満ちていることを感じてはいたが、それがどんどん強くなっていくのだ。

特に、沖ノ島の神様を祀る宮で参拝すると、「あ、この神様に呼ばれたんだ」というのが分かった。
何だろう、どういう縁なんだろう。
今はまだ分からないが、そのうち分かる時がくるかもしれない。

まずは、無事に参拝出来たことをお礼申し上げ、宗像の地と、日本をお守りいただけるようお願いさせてもらった

20141002宗像大社

嘉穂劇場に行った。
昭和6年に落成した劇場だ。
昔ながらの芝居小屋だが、花道はあるし、貴賓席もある(伊藤伝衛門が座った席という看板もあった)し、舞台は回り舞台だし、座席数も多い。

劇場内に入ると、おっと!おいでなすった!!
劇場に漂う多くの霊様達!!
芝居が好きで、この劇場を守っているのだな、というのを感じた。
他の写真には小さなたくさんのオーブが写ってしまった。

この感覚は、舞台に上がった瞬間更に強くなった。
舞台は神聖な場所だ(以前ダンスをやっていて10年ばかり毎年舞台に出ていたので、そのことは肝に銘じている)。
見学とはいえ、舞台に上がれることを嘉穂劇場の神様にお礼申し上げて上がった。
やっぱり…、この劇場はすごく守られている!!(私の心が感じたこと)
そう感じずにはいられない劇場だった

20141001嘉穂劇場

今回の旅では、おいしいものをたくさん食べた。
空気も水もおいしいところは、食べ物がとてもおいしい。
なんと幸せなことだろう。

旧伊藤伝衛門邸を出た後に行ったお店で食べたランチ。
お魚がおいしいお店なのだが、連れて行ってくれた方が推薦する通り、とてもおいしかった。
これだけのランチ、東京でいただく機会はなかなかない。

旅行に行くと、毎日おいしいもの三昧で何とも贅沢なのだが、この日のために日々を粗食でがんばった?というのもある。
たまの贅沢も、日々の質素倹約があるからこそ、喜びも倍増なのだ

20140930お食事

旧伊藤伝衛門邸を見学した。
9月まで放送していたNHKの朝ドラ「花子とアン」で、柳原白蓮が嫁いだ家だ。

白蓮の生涯は小説になるほど劇的だ。
当人は自由に生きたいと願い、心のままに生き抜いただけのかもしれないが、彼女の一生は端から見ればやはりドラマティックだ。

白蓮にとっては辛い結婚で、この家にも10年ほどしかいなかったのに、白蓮亡き後、今や多くの人達がこの家を訪れている(私もその一人だが)。
己の生き様が、これほど多くの人に大きな影響を与えることになろうとは、本人も予想だにしなかっただろう。

「事実は小説よりも奇なり」とはまさにこのことだ

20140929伝衛門邸

緑豊かな場所に、古墳時代の竪穴式住居のレプリカがあった。
太古の昔、茅葺の住居で人々が暮らしていたのか、と中に入って体感する。
すべてが自然の恵みで出来た家。採光も、通風もうまく出来ていた。

今は展示物となっているが、当時は山間で一族が軒を連ねていたのだろう。
木々の葉音、鳥やセミの鳴き声、吹き抜ける風を肌に感じる。
何もせず、目を閉じれば当時にタイムスリップしたようだ。

暇さえあれば携帯電話に目を奪われ、五感は衰えるばかりの現代人。
時には、それらを手放し、自然を見つめ、その音に耳を傾け、流れる空気を味わってみてはどうだろう

20140928遺跡と自然

窯元の自然の中で出会ったカマキリ。
これは、もしかして子孫製造中…ということだろうか。

カマキリは、大きいメスが小さいオスを、交尾後に捕食すると言われている。
全てのカマキリがそうするわけではないらしいが、目の前にいたこのカマキリ、その後オスは食べられてしまうのだろうか。

一見すると、何ともグロテスクな話だが、メスが大量の卵を産むために、オスは自らその栄養源となることが分かっているのだろうか、とも思う。
産まれくるわが子のために、己を捧げる…とも解釈出来る。

カマキリにそんな意識はないかもしれないが、命を繋げるために生きている、それは昆虫も人間も同じだろう

20140927カマキリ

窯元を見学した。
緑深いところにそれはあり、美しい川が流れていた。

川から引いた水が臼に溜まり、それが満ると零れ落ち、空になった臼が水受に戻るその瞬間に土を砕くのだ。
何とも良く出来た道具(原理)だと感心した。

自然の時と力で砕く土は、砕かれるほどに細かくなり、最後にはパウダー状になっていく。
そうやって、ようやく焼き物の素となる土が出来上がるのだ。

その後の工程にも多くの時間と労力が要されるのだが、大本の働きを見ることが出来、人間の原点もこうあるべきだろう、と思わされた

20140926土を作る

旅行中は、普段行けない場所に行くため、ついついあれこれ欲張ってしまい、普段以上の体力を使ってしまう。
疲れた分、それが明日へのエネルギーに転換出来れば良いのだが、知らず知らず肉体を酷使し、疲れていることに気づかないままにしていると、結局旅行中具合が悪くなってしまう。

旅行前も旅行で休みを取るために、いつもより大目の仕事をしたり、休み中支障がないように、といったことを続けていて、それでなくても体は疲れているのだ。

その上に、楽しい事柄を詰め込み過ぎると、体はオーバーワークを来たしてしまう。
私も過去に何度かそんなことを繰り返しているから、人のことは言えないのだが…。

楽しいことになるとついつい張り切ってしまうが、それもほどほどに。
出来れば、普段と変わらないように(気持ちのうえで)過ごすことが一番良いのだろう。
期待もほどほどだ

昨日から日常を離れ、地方に来ている。
昔の町並みを大切にする所に来ているため、ネットがつながらずブログの更新が出来なかった。
事前の調べで、ホテルのロビーでWI-FIが使えるはずが、なぜかうまくいかず断念した。

毎日出来ていたことが出来ないと動揺しがちだが、それが出来ないことで、これまで便利に使えていたことを再認識出来たのと、なければないなりに何とかなる、ということを改めて思った。

そして、今日の宿泊場所では予約した部屋ではインターネットが使えないと言われていたのだが、案内された部屋は、何故だかネットがつながる環境の部屋だった。

う~~~ん、フシギ。
昨日はつながるはずと思っていたらダメで、今日はダメだと思っていたら繋がった。
物事は予想通りにはいかないものだ。
これも、旅の醍醐味!?と思って、つながる幸せを噛みしめている

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