2014年05月

2014年05月15日

満月

今日は15日の満月だ。
月や潮の満ち欠けは、天体の働きに大いに関わりがあるが、それによって、生物の一種である私たちの言動にも微妙な影響を与えているらしい。

昔から満月の日には事故や事件が多発傾向にあると聞く。
人の感情が大きく揺さぶられやすいのだろうか?
また、地震を誘発する原因のひとつとも言われている。

実際のところ、宇宙から月と地球の因果関係となる働きを見ることは出来ないから、確たる証拠はないのだろうけれど、もしそれが見えたらどうだろう?

月と地球という星規模の相互作用もさることながら、人間と自然、人間と宇宙との相互作用ももしかしたら一目瞭然だったりするのかも…。その働きは、月と地球が生れた時から始まっているのだろう。
一度、宇宙の視点から俯瞰してみたいものだ

enji_152 at 19:59|PermalinkComments(0)前世 | 記憶

2014年05月14日

ごはん中

帰りの飛行機に乗った時、窓から隣の飛行機が見えた。
よく見てみると、お食事中のようだ。
このような光景が見えることは珍しいだろうから、思わず写真を撮ってしまった(この時点では、まだ電子機器の電源はONでもOKだった)。
人間も栄養を採らないと元気に活躍できない。飛行機もしかりだ。

飛行機の燃料は、翼に貯蔵する箇所がある。
何百キロ、場所によっては何千キロ、何万キロも飛ぶだけの燃料を蓄える場所が翼だなんて、にわかには信じがたい。見た目は一番スマートに見える部分だからだ。

中身は満タンでも、見た目の姿は涼しい顔したスマートな翼、なんてカッコイイのだろう~

20140514ごはん中

enji_152 at 19:48|PermalinkComments(0)今世 | 乗り物

2014年05月13日

今帰仁城跡

以前から行きたかった今帰仁城跡に行った。
14世紀に築城された石作りの城壁が今も残っている。
上から眺めると、万里の長城を彷彿とさせる。

城が薩摩軍によって滅ぼされたのが1609年というから、そんなに遠い昔ではない。
江戸時代までここには城があったのだ。そんな歴史を思いながらこの城跡を巡った。

今は世界遺産としての史跡になっているが、この場所で空気と風を感じながら、当時に思いを馳せてみると、なぜか心地よさを感じた。ある一角に立ってみると、すごく気持ちが安らぐ場所があった。
ここには、聖地として崇められるだけの何かがあるのだ…とも思えた。

城内にはたくさんんの桜の木が植えられていた。
次回はぜひ桜の咲く頃に行ってみたいと思った

今帰仁城跡

enji_152 at 10:22|PermalinkComments(0)今世 | 沖縄本島

2014年05月12日

古宇利島

沖縄北部に位置する古宇利島へ行った。
ここは、アダムとイブ伝説がある島のためか、「カップルで訪れると幸せになれる」と噂されているように、確かに、周囲にはそれが多かった。

私は、海上橋である古宇利大橋から見る海を目当てに行った。
写真のように曇りだったが、それでもこの海の美しさだ。晴れたら、もっともっと美しいのだろう。

時間の関係上、島全体を見て回ることは出来なかったが、島にある展望台からの眺めと、海から吹いてくる風は心地よかった。
観光客向けの展望台だが、自動操縦の自動車に乗って、まるでジャングルクルーズのアトラクションか?とおぼしき道を登っていくのは、何となく興ざめ感はあったが、足元に自信のない方には良いサービスだろう。

いずれにしても、目的地だった古宇利島に無事に行けて良かった

古宇利島

enji_152 at 08:50|PermalinkComments(0)今世 | 沖縄本島

2014年05月11日

♪富士は日本一の山~♪

二月に行けなかった沖縄のリベンジを、今日、明日で行うことにした。
春にしては珍しく空が澄んでいて、羽田から飛び立った飛行機の窓からは、美しすぎる富士山を見ることが出来た。

子供の頃歌った、「頭を雲の~上に置き~♪」の歌を思い出した。
だが、飛行機は富士山のさらに上を飛んでいる。時代だねぇ~なんて思ってしまった。

今日は古宇利島と今帰仁城に行った。
この話は、また明日!
でも、明日にはもう東京に帰っちゃうけどね~

富士山

enji_152 at 21:14|PermalinkComments(0)今世 | 乗り物

2014年05月10日

ぞろ目1

普段の生活で、何気なくぞろ目に遭遇することが時々ある。
見ようと思って意図しているわけではないのに、気付くとメールの送信時間や、スーパーのレシート、時計の針等々。気付けば、ぞろ目に出会っている。

ぞろ目には、天使からのメッセージが込められている、という説がある。
それを参考にすると、今自分の置かれている状況や、未来を何となく実感できるような気もする。

ちなみに、昨日はスーパーで買い物をしたら、888円だった。
こればかりはどんなに計算してもうまくいくものではない。
必要なものを買っての結果だ。

888のぞろ目の意味は、「人生のひとつの章が終わりを告げようとしている、トンネルの先に光が見える…」といった感じで、私にとってはまさに吉報だ。
そして、この状況はまさにドンピシャ!当たっていると思う。

何気なく見ているぞろ目にも、何かしらのメッセージがあるのかもしれない

enji_152 at 10:51|PermalinkComments(0)今世 | 気付き

2014年05月09日

人間の限界

肉体が病に蝕まれて朽ちていくしかないと分かった時、それが人の寿命だと思う。
歳を経れば、少なからず何がしかの疾患は誰にでもあるだろう。
何十年と使い続けた肉体だ。いつかは使い古され、ボロボロになっていくのは当たり前のことだ。

今は医療技術の発達のおかげで、血液検査だけでもほとんどのことが分かる。
それで数値が悪ければCTスキャンや胃カメラなどの機械を以てさらに詳しく病状を知ることが出来る。
それらの結果から、自分が患った病のことが分かり、残りの人生がどれほどであるかを悟ることも可能だ。

だが、世の中にはそんな数値などどこ吹く風!
「自分の体は自分が一番よく分かっている!何ともないと言ったら、何ともない!大丈夫だ!!」と豪語する人がいる。
そういう人は、最終的には他人に迷惑をかけて最期を迎えるわけだが、その意味不明な自信が、意外にも寿命を長らえているようにも思える。

肉体の限界とは、意外にも、己で決めているのかもしれない、と思わされる

2014年05月08日

生きた証

半世紀前に比べて、日本人の寿命は約2倍になっているそうだ。
50歳だった寿命が、100歳になった、というわけ。
医療技術が進み、ちょっとした病気ならたちどころに治るし、難病も昔に比べたら完治率は格段に上がっている。

だが、そもそも、高齢にもなれば、誰しも身体機能は落ちるし、臓器や骨、筋肉、血液などに障害が起きるのは、当たり前のことだろう。物だって長年使えば壊れるのだから。

それを、わざわざ無理やり治そう、生きながらえさせようとするのは、人間が動物として自然な死を迎えることを阻止しているように思えてならない。長生きすることで、誰かのためになったり、家族が喜ぶのなら別の話だが…。
寝たきりになって、点滴だけで無理やり生きさせるのは、人間としての尊厳を傷つけていると私は思う。

そんな最期を迎えるのもまた、その人自身が生きた証だと言ってしまえばそれまでだが…。
これまでの生き方が、最後の最期に現れるものだと、つくづく感じる

enji_152 at 19:48|PermalinkComments(0)今世 | 気付き

2014年05月07日

ムリは通さない

1日の予定を考え、それ通りに行動する日々だが、たまに、予定通りに事が運ばない時がある。
何度か事を成そうと試みるが、何度やってもうまく進まないのだ。

そんな時は、ムリに事を進めないことにしている。
なぜなら、ムリを通せば、どこかにゆがみやひずみが生れるからだ。

自分の思考通りにいかなくても、それが結果的に良い方に向かうこともある。
うまくいかないからといってイライラせず、次のチャンスを冷静に待つと、より良い好機が巡ってくるものだと思う

2014年05月06日

恥は早いうちに

大事な事柄でミスをした場合どうするか?
某旅行会社で、修学旅行のバスの手配をし忘れたミスを隠すために、依頼学校の生徒を装って自殺予告を送った、という事件が公になった。

出発の数日前に手配をし忘れたことを担当者は気付いたという。ならば、その時点で上司に報告し、素直に詫びていれば、こんな大事になることはなかっただろう。ましてや、最終的には懲戒解雇となり、事件として送検されることになってしまうのだから…。

どんなにミスを隠ぺいしようとしても、いつかはバレてしまう。これくらいなら…という己の甘さが身の破滅を招く。
一時の恥で済むならば、いくらでも頭を下げ、次の手を一刻も早く打つことが、賢い人間のすることだろう

2014年05月05日

縁11

※カテゴリー「縁」シリーズの続き。

人との出会いや付き合いは、「縁」のなせる業だと思うが、神仏にも自分と相性の良い縁があると思う。

観光などで、神社仏閣に出向くことがある。
その際には、その場にご縁をいただき、無事来れたことを神仏にお礼を申し上げることにしている。
それから、お守りくださっているその土地の繁栄をお願いさせてもらっている。

何の違和感もなく、すんなりお参り出来ることがほとんどであるが、たまに見えない力に拒絶されているように感じることがある。そんな時は無理に社(やしろ)に立ち入らないようにしている。
それは、そこの神仏とは縁をもらってはいけない、合わないからなのだろう、と思うからだ。

私が立ち入ってはいけない世界があるのだろう。
それは、縁のない人達が集う世界があるのと同じなのだと思う



enji_152 at 20:18|PermalinkComments(0)今世 | 

2014年05月04日

また会う日まで

国立競技場の見学ツアーに参加した。
2020年東京オリンピックに向けて、1964年に活躍しオリンピック会場となった国立競技場がこの7月に解体が始まる。新しい競技場建設は楽しみだが、半世紀活躍したスポーツの聖地を見たいと思った。

多くのスポーツ選手や、競技に打ち込む人々、応援する方達のあふれんばかりの思いがこの競技場にはある。
見た目はこれからもずっと使えそうなほどメンテナンスも行き届いているし、大事に使われてきたことがよく分かった。
だが、こういう機会でもなければ、なかなか中のスタジアムや聖火台にも入れることはないだろう。

これから益々スポーツに精進する方たちも増えていくだろう。
長い間お世話になった国立競技場に感謝の思いを込め、新しく生まれ分かる日を楽しみにしている

国立競技場

enji_152 at 18:13|PermalinkComments(0)今世 | 守るべきもの

2014年05月03日

地震増えてます

今日は岐阜、長野で地震が続いた。
東日本大震災以降、日本を始め世界で大きな地震が頻発している。

地球の中で、4つのプレートの真上に大陸がある国なんて、日本くらいかもしれない。
いつ何時地盤が動いて、日本列島が分裂するくらいの揺れがあってもおかしくはないのかもしれない。

地球という星が生まれて46億年の歴史の中で、人間の存在は吹けば飛ぶほどのものでしかない。
人間がどれほどの叡智を以てしても、地球には勝てない、というか、地球あっての人間だ。
地球がなくなれば、人間ももちろん存在し得ないのだから。

2014年05月02日

目の前に

ランチで老舗の洋食店に行った。昼時なので、店内は混み合っていた。
メニューを決めて、オーダーするために手を上げると、店長らしき店員が来た。

食べたいものを口頭で伝えたが、周囲の状況が気になるらしく、私たちのことをまったく見ることもなく、オーダー板に記入だけすると、返事もせず立ち去ろうとする。
忙しいさなかだから、いちいち一人ひとりの客の顔など見る暇もないだろうが、まったく誠意を感じないその態度に呆れた。

おいしいお店だけに非常に残念だ。
人気店であることに奢ると、こういう態度になるのだろうか…。
お客は味以外も見ている。
目の前にいる客のことをちゃんと見ないで、本当の接客と言えるのだろうか…。
しかも、店長なのに…

enji_152 at 20:23|PermalinkComments(0)今世 | 気付き

2014年05月01日

肉体があると

4月の頭に、父が救急搬送され、緊急手術を受け入院加療をした後、先日退院した。
一時はICUで1週間ほど生死の境を彷徨った。

その時、自分がなぜそこにいるのか理解出来ておらず、手術をした翌日、父の魂は我が家にいた。
姿が見えるわけではないが、匂いと気配を感じるのだ。

いつものように自分で朝ごはんを作ろうとするものの、鍋の取っ手を持てないことを不思議がり、起きてきた私に付きまとってきた。
事の次第を説明し、肉体は病院にいることを声に出して話してあげた。

すると、「お茶を一杯飲ませて欲しい」と言うので、私はお茶を入れて、いつも父が座る席に湯呑を置いてあげた。飲んで落ち着いたのか、その後、父の姿はなかった。

いつもは自己中で、自分の欲求のみを駄々っ子のように要求し、思い通りにならないとキレる男だが、肉体がないと、魂だけの存在だとすごく素直なのだ。
こんな人でも魂はキレイなのかと思った。

だが、退院してみれば結局元の自己中クソオヤジに逆戻り。
病院で看護師さんたちにチヤホヤされた分、さらにわがまま度はアップしている。
それに振り回される家族はたまったものではない。
こうなる(病気)までの道のりは、何十年という自己中生活の日々の積み重ねがあるからだ。

頑固で強固な我欲まみれの肉体を脱ぎ捨てて、清らかな魂に戻れることを祈るばかりだ

enji_152 at 20:00|PermalinkComments(0)今世 | 課題