2018年12月
2018年12月12日
むか~し、昔、あるところに…
地下深部に広大な「生命体の森」 国際研究で発見の記事を読んだ。
2011年の時事通信社の記事によると、私たちが住む地球には、870万種の生物が住み、そのうちの90%は未確認で、現在の地球は、6500万年前に恐竜が絶滅したと言われた時以来の、種の絶滅に直面しているそうだ。
人類の起源は30万年前と言われており、産業革命頃までの人口は10億人ほどだったが、それ以後は徐々に増え続け、2015年には70億人を突破した。
自然の動植物は絶滅の危機に瀕している中、人類だけが増え続けている。
その人類は、絶滅していこうとしている多くの命をもらい、自らを生き永らえているのだ。
一方、地球の地中奥深くに、生命体の森があるとは!
エイリアンが地中に住んでいる、なんて映画やドラマもあるが、あながちそれはあり得ない話ではないかもしれないし、そこに住む生命体は、地球上で無益な戦争ばかりする人類を見て、呆れ果てているに違いない。
むか~し、昔、地球の表面には人類という愚かな生命体がいましたとさ…なんて、昔話にならないよう、人類はもっと賢く生きる術を編み出さなければ、本当に昔話になってしまうだろう。
2018年12月11日
差は広がるばかり?
男女平等と声高に叫ばれてはいるが、日本社会は昔から相も変わらず男尊女卑のままだ。
政治家でも女性が閣僚に入ると、すぐさまスキャンダルが取り沙汰されるし、医学部への入学も出来る女子生徒よりも点数の低い男子生徒が合格するし、会社でも管理職になるのは圧倒的に男性のほうが多い。
男、女としての役割はあると思う。
男性がどんなに偉くなっても、子供を産むことだけは出来ないし、女性がどんなに偉くなっても、男性のような力業は出来ない。
それぞれの役割のうえで社会が築かれているのなら良いのだが、男性優位にするために操作する、それが根本的に愚行なのだ。
社会人となった女性は、どうしても結婚、出産、育児という人間としての尊い役目の多くを担いがちだ。
それでも、能力のある女性は社会で活躍すべきだし、そういう姿を子供達に見せていくこともまた、教育にも繋がっていく。
だが、女性は虐げられているようでいて、新たな道を見つけるのもうまい。
だからこそ、出来る女性は妬まれ、叩かれるのだろう。
男性が女性を叩けば叩くほど、能力の差は益々広がっていくのだが…果たして男性陣はそこのところをどう考えているのだろう…。
2018年12月10日
会うは別れの始めなり、別れは再会の始めなり
最近、ひょんなことからFacebookを始めた。
仕事柄、SNSに関することにも日々関わっていながら、自らはなかなかFacebookを始められずにいた。
友人らからも「やってないの?」と言われたことも多々あったり、私のことをマジで探していてくれた人もいたことから、始めることにした。
すると、一人二人三人…と、知り合いが小さな画面の中に現れてくる。
アプリを入れたらその数は瞬く間に増えていき、学生時代の友人から社会人になってからの友人達、音信不通になっていた人達が、次々と目の前に現れた。
これはスゴイ!!と感動しきりで、知り合いにリクエストを出してみた。
そこからは言い方は悪いが芋づる式に、懐かしい顔、顔、顔と再会出来た。
まさに、現代の玉手箱だ!
「会うは別れの始めなり」と言うが、現代は「別れは再会の始めなり」だな…と、文明の力に感心しきりなこの頃だ。
承認してくださったみなさん、これからもよろしくお願いします!!!
※SNSは個人情報の宝庫につき、取り扱いには十分注意したいと思う。
2018年12月09日
魂の役割、役目とは?
大河ドラマ「西郷どん」も来週で終わる。
今宵は西南戦争のシーンが描かれていたが、同じ薩摩人同士で殺しあわねばならぬとは…。
ドラマだからある程度の脚色はあるものの、幼い頃から切磋琢磨した西郷と大久保が、明治維新後に対峙する関係になるとは…。
どこまでが真実かは定かではないが「大義のため?に友を討つ」というのも、なかなか理解しがたい事柄だ。
ドラマでの西郷は、どこどこまでも貧しい者達の味方であり、誰に対しても平等な精神を貫こうとする。
それはまさに理想であり、人間としてのあるべき姿だ。
だが、政治の世界や個人を超越した世界においては、それがまかり通らないのが現実だ。
そういう意味で、大久保は王道を歩んでいると言える。だが、そこで友を討つのか…と、またしても複雑な心境にかられた。
世の中キレイ事を言う者は排除される傾向にあることは悲しいことではあるが、正論を言える、思える、行動に起こせる者は、それだけで既にその人としての魂の課題をクリアーしているのかもしれない。
悪人が跋扈するのは、その人達の魂の修行のために生き延びる、暗躍するなかで、どうにもこうにもならなくなった時、己の課題と向き合わざるを得なくなり…ということになっているのかも…とも思った。
人の運命も生き死にも、人の思考を越えた遥か彼方にあるのかもしれない。
2018年12月08日
Microsoftさん、お願い!!
2010年に購入したWindows7のPCに、Windows10をアップデートのためインストールした。
すでに無料提供期間は終了しているが、Microsoftのサイトに行くと、未だにインストール出来るようだ、というか、出来た。
Windows10については賛否両論、個人情報も流出放題?のようだが、すでにもう1台のPCは10にしていたので、今更どうこう言っても仕方ないと思い、古いPCも10にすることにした。
2020年1月にはWindows7のサポートが終了することを考えると、PCを買い替えるか、アップデートするしかない、というわけだ。
無事にアップデート完了し、快適に使えている?が、ひとつ問題なのは、モニターの解像度が下がったことだ。
Windows7の解像度を維持していたディスプレイアダプターがWindows10では引き継げず、Microsoft基本ディスプレーが自動的にあてがわれたため、解像度が下がってしまったのだ。
このエラーについては、多くの人が困っているらしく、あちこちの掲示板にも書き込まれている。
自分で何とかする手もあるのだろうが、PCに不案内な者にはハードルが高い。
Microsoftも基本ディスプレイをあてがうのであれば、せめて解像度くらいもっと幅を持たせて欲しいものだ。
かくいう私のPCもそれだけが唯一の不具合なのだが、それでも使えてるから、後は解像度の問題がクリアー出来ればフィニッシュだ。
今やスマホが主流の時代だが、やはりPCのほうが見易いし、作業の効率も良いことを考えると、解像度の問題くらいチャチャっと対応して欲しいものだ。
2018年12月07日
才能の無駄遣い?
今宵、あるライブに参加してきた。
私の好きな分野の音楽と踊りがてんこ盛りだった。
演者の人達の名声は存じ上げなかったが、その内容たるや!!!
こんなにスゴイ人達を、こんな小さいライブハウスで、ご披露いただいて良いの?
というほどの濃い、濃い中身だった。
これだけの実力であれば、1000人単位のホールでも人は入るだろう。
しかも、超VIPゲストも登場!
これ、普通にブッキングしたら、超赤字のライブでしょ!!
超VIPゲストは、私の若かりし頃さんざんコンサートに行った人だった。
おおおお~~~~~!!!!
今宵の宴は、恐らく日本いち才能の無駄遣い?いや、贅沢三昧だった。
もう二度とこんなライブはお目にかかれないだろうな~~。
2018年12月06日
そうは言いながらも…
品川ー田町間に出来る新しい駅名が「高輪ゲートウェイ」に決まり、賛否両論巻き起こっている。
これまでの山手線や京浜東北線の駅名から見ると、まさに新鮮だ。
カタカナ表記、4文字以上、公募で1位が高輪だったにも関わらず、誰が投票したのか?36件の応募で130位に入ったこの名前が選ばれた。これじゃ、公募の意味ないじゃん!
とまあ、これだけでもツッコミどころ満載だが、決定打は「江戸の玄関口」ということらしいが、だったら、江戸ゲートウェイとか、品川宿が近いわけだから、品川ゲートウェイとするのが順当では?
こんなに長い名前付けたら、路線マップの書き換えや電光掲示板も大変だろうな~と、電車のドア上部に貼られているシールや掲示板を眺めながら、これまた一人ツッコミに興じていた。
ここに落ち着くまでには、喧々諤々あったことは容易に想像出来るし、騒動も時間が経てば、何事もなかったかのようになることも目に見えている。
新しモノ好きな日本人だが、変化には難癖を付けたがる…これも、いずれはただの笑い話になることだろう。
だが、これに伴いシステム改変する人達は大変だろうな~~。
2018年12月05日
負の連鎖
貴ノ岩が付け人に暴力を振るっていたことが発覚した。
昨年の10月に自身は、日馬富士に暴力を振るわれた被害者だったのが、今度は加害者へ転じた。
人から叩かれたら、その痛みが一番分かるのは自身であるはずなのに、それを人にもしてしまう…負の連鎖だ。
虐待された子供は、自身が親になった時に、自分の子供を虐待する、という連鎖もある。
誰もがそうなるとは限らないが、受けた痛みを誰かに渡さないと、自身が救われないのだろうか?
確かに、受けた痛みはいつまでも心身に残ってしまう。
よほどのことがない限り、加害者を許し、傷ついた自身の心を癒すことは容易くない。
傷んだ自身を救うために、知らず知らず同じことをしてしまうのが、人の業なのかもしれない。
苦しみの連鎖は、他人を苦しめることでしか救われないとは…何とも悲しいことだ。
自身を救うには、自身でそれを受け止め、癒し、救っていくしかない。
その道程は並大抵ではない。それでも、受けた傷を連鎖してしまうことは、自分に負けたことにもなる。
苦しい自身を良い道に導いてくれる人との出会いを願い、自身が心から負の連鎖から抜け出せるよう、力を尽くすことも大切だ。
2018年12月02日
時代は生き物
大河ドラマ「西郷どん」もいよいよクライマックスだ。
幕末から明治維新に至る過程は、それまで武士であった者達にとっては、青天の霹靂以上の衝撃だったことだろう。
刀が武士の全てであった時代が徳川幕府以前も入れたら、数百年続いていたのに、明治維新という時代の変化と共に、あっさりそれを捨ててしまわねばならないのだ。
武士に限らず、町民も農民等も、誰もが新しい時代に恐れと不安を抱いていたことだろう。
現代は先の大戦から半世紀ほどで、瞬く間に文明が進化しすぎた。
私が就職した頃にはまだ英文タイプだったが、あれよあれよという間に、ワープロ→ポケベル→パソコン→PHS→ガラケー→スマホが台頭してきた。
これらに関しては、ほんの数十年間の話だ。
私が新卒で就職したての頃、FAXが無事に届いたかどうか、わざわざ電話をして確認していた時代がウソのようだ。
幕末の怒涛ほどではないにしても、現代もそれなりに大きな時代の流れ、うねりがあり、それに連いていけない者は多くいる。
全てを網羅することは出来ないにしても、時代は生き物であり、変わり続けていくものであることを、忘れてはならない。
そのうえで、自分が出来ることに精進し、日々の務めを全うすることが大切なのだ。
2018年12月01日
ストレス発散は
社会人生活も長くなると、毎日が同じことの繰り返しになりがちだ。
とはいえ、同じ毎日というのはないわけで、ちょっとずつ色んな変化は起きているのだが、なかなかそれに気付けないというのも、また現実だ。
1日のうちの比重が大きい事柄といえば、私の場合は週5日会社で働くことだろう。
その中では些細ではあるが、微妙な人間関係やままならぬ業務だったり…と、それなりにストレスを感じながら生きている。
それでも、キー!と叫ぶほどのストレスではないと思ってはいるが、仕事と離れたことをした時に、いつも思うのが「ああ、私ストレス感じてたんだな~」ということだ。
それは、習い事の稽古をしている時だったり、料理をしている時だったり、お風呂の湯船に浸かっている時だったり…と、仕事とは全く無関係のことをしていると、それまで心に抱えていた些細なストレスの積み重ねが少しずつ解れていくような気がする。
人にはそれぞれ発散の仕方があるだろうが、案外それは身近にあることでも出来るのかもしれない。
そして、発散し心をリセットすることで、また自分の役目に取り組めるようになるのだろう。