2021年09月

2021年09月26日

次のステップ

副業で好きなことをやりながら稼いでいる人がやっている究極のコツ4つを読んだ。

コロナの影響で世の中の動きは大きく変わった。
これまで是だったものが否となり、その変化に追い付けない人も多いのではないだろうか。

特に働き方については、私が社会人になって初めてテレワークを経験することとなった。
元々2020年のオリンピック開催による混雑緩和のために、前年から少しずつテレワーク勤務を職場が推奨していたが、週5丸々テレワークになるなど、想像もしていなかった。

職場で同僚達と顔を合わせられないことは寂しいこともあるが、イヤな人とも顔を合わせないで済むので、それは良かった点だ。

何より通勤時間が他のことに有効活用出来ることが大きな収穫だ。
私はその時間を運動や趣味の稽古に当てたりしている。

それでも余った時間は、次のステップに向けて勉強を始めた。

記事にもあるように、これからは「副業」ではなく「複行」の時代だ。

私のようにいくら手に職があっても、50代も後半になれば、いつまでも宮仕えが続く保証はない。
宮仕えをしている間に、次に向けてステップアップしなければ、いざという時に路頭に迷うことになる。

人生において安泰ということはまずない。
世の中はどんどん変化し続けているのだから、それに追い付けなくても、自身の身の振り方は考えておかないと、一人取り残されることになってしまう。

この2年(コロナ禍)で学んだことは、これまでの経験がこれからの自分を作る!ということだ。

一見何の脈略もないような出来事の数々だった点が線となり、どうやら未来を形成出来そうな雰囲気になってきた。自分には自分でも気付いていなかった未知の能力がまだあったのか!?と、新たな発見にワクワクとドキドキの毎日だ。

これからも現状に甘んじることなく、新たな世界の扉を開くべく精進し続けたいと思っている。

未知を学ぶ、知ること、これほど面白く、楽しいことはないと感じているこの頃だ。

enji_152 at 12:01|PermalinkComments(0)未来へ | 次の次元

2021年09月25日

自分と向き合う大切さ

アドラー心理学の「自己受容」でお金持ち体質にを読んだ。

成功する人というのは、他者と良好な関係を築ける人であるそうだ。
理屈で考えても確かにそうだろう。

マイナス思考で他者と上手く関係を築けず、自分の殻に閉じこもっている人が成功することは、まずないだろう。

「成功」=「金持ち」という図式は安直過ぎるものの、人は自分の行いによって富や名声を獲得することで承認欲求が満たされやすい生き物だから、自分に満足できる状態になれば、それが「成功」なのかもしれない。「成功」の定義は人それぞれだから、一概には括れないが…。

記事にあるように、嫌いな人がいる場合、その人の中に自分のイヤな面がある、というのは常々自分でも感じている。

どんな人にも弱点、短所があるし、自分で自分を許せないと思えるような感情を持っているものだ。
いつも元気に前向き思考、ポジティブに生きているつもりでも、そのポジティブさが周囲にとってウザがられることもある。

生きることは、常に自分を振り返り改まっていくことの連続だ。
ダメな自分を許し、修復していくことが大切なのだろうと思う。

自分を許せない限り、他人を許すことも出来ないのだから、まずは自分のあるべき姿から目を反らすことなく、向き合う必要がある。

他者に目を向けている間は、自分を好きにもなれないだろう。
周囲と上手くやっていくには、まずは自分を見つめることが何より大切なのだ。

enji_152 at 08:07|PermalinkComments(0)今世 | 気付き

2021年09月24日

それも我欲

「文句ばかり言う人」から身を守る神対応7大コツを読んだ。

「文句ばかり言う人」いますよね~!!と、記事にウンウン頷いた。

人の粗探しをしては、それを他人に吹聴し、さも自分が何でも出来るかのように振る舞う人、どこに行ってもいるものだ。

こういう人は、他人の粗には敏感だが、自分の粗には全くと言っていいほど気付かないし、それを指摘しようものなら、烈火の如く怒り狂うから不思議だ。

普段から他人の粗探しばかりしては悪口言ってるくせに、言われるとメンタル弱しで、怒りつつ凹むという、何とも厄介このうえない。

記事にもあるように、こういう人も結局は周囲の気を引きたい「かまってちゃん」だ。
承認欲求の弾丸レシーブとして、文句ばかり言うのだろう。

つい最近までこの手の上司がいた。
毎日毎日くだらないことをスカイプで送り付けてくる。毎日既読スルーするが、それでもかまわず送り付けてくる。マジで迷惑だった。

良い歳をした大人が、自分の感情もコントロール出来ず、いつまでも子供のように人の粗探しをしては人の気を引こうとするなんて…気の毒な人だ。

どこどこまでも自分本位のかまってちゃん。これぞ我欲の最たるものだ。

enji_152 at 06:22|PermalinkComments(0)今世 | 我欲

2021年09月23日

カマキリの謎

秋の水辺のカマキリの自殺願望=脳をコントロールする寄生虫の恐怖を読んだ。

子供の頃、カマキリのお尻から細長い茶色いミミズのようなものが出てきたのを今でもハッキリ憶えている。あまりにも衝撃的過ぎる光景だったため、カマキリの体内には何かがいる!とずっと思っていた。

上記事にその答えがあった!
なんと、ハリガネムシがカマキリの体内に寄生し、カマキリの思考回路を書き換え、更には水中へ自ら入りたくなるようコントロールしているそうだ。

カマキリの体内にあんな長い寄生虫がいることだけでも十分衝撃的なのに、カマキリの意思さえも奪い、寄生虫が生き残るためにカマキリを水中に誘うとは…恐るべし!ハリガネムシ!!

子供の頃は幼虫を捕まえて孵化するまで観察したりしたものだ。
芋虫がキレイな蝶になった時には感動したし、夏は早朝公園に行ってはセミの穴を見つけて、そこに水を流すと白いセミが出てくる。それを虫かごに入れて茶色に変わるまで観察したり…と、今思えば、昆虫達からもいろいろ学んだな…と思う。

この歳になってカマキリの謎が解けるとは夢にも思わなかったが、ずっと不思議に思っていたことが解決してスッキリ!?した。

enji_152 at 07:56|PermalinkComments(0)今世 | 感動

2021年09月22日

思いがけない?嫌われ要因

あなたは大丈夫?「仕事ができない人」のメールにある意外な共通点に共感。

以前勤めていた会社で、毎回怒涛のような長文メールを送り付けてくる女性がいた。

対面で話す時は穏やかで、怒涛のような発言もしないのだが、メールになると長文過ぎて、言いたいことが何なのかが分からず、一番大事なことを最後の最後に書いてくるので、結局そこまでこちらの集中力も持続せず、彼女の真意が伝わらないことが多かった。

怒涛の長文メールは、まず自分が置かれている状況、不利益を被っている現状、仕事の改善点などを細々書いているのだが、正直「今それ必要?」ということばかりだ。

仕事が大変なのは誰しも変わらないわけで、自分だけが被害者かのような長文メールを送ってくるあたり、相当な被害妄想だなと思った。

聞けば超有名大学(裕福な家の子が通う大学)出身だそうで、幼い時から花よ蝶よとおだてられながら育ったのだろうな、と推察出来た。学生時代までは余裕たっぷりに生きてきたのに、社会人になった途端、クソミソのような対応を迫られ、自分だけが困難に直面していると勘違いしたのだろうと…。

その後彼女がどうなったかは知らないが、長文メールを送り付けてくる人とは、最小限の付き合いしかしたくないし、個人的にも距離を取りたくなる。

ビジネスライクとしての対応と個人的感情がない混ぜになった長文メール…誰もがゲンナリしているものだ。

enji_152 at 06:41|PermalinkComments(0)今世 | 課題

2021年09月21日

自分の芯

「ずるい人」と「カモにされる人」を分ける“決定的な違い”を読んだ。

世の中にはどこにでも「ずるい人」はいる。
仕事において言えば、相手を褒めたたえながら、面倒な仕事を相手に押し付けたり、困った場面に直面すると、さも他に用事があったかのような振りをして、その場からいなくなる…と言った具合だ。

「カモにされる人」は、大概良い人だ。
世の中の人は、圧倒的に良い人のほうが多いように思うが、ただの良い人というのも案外厄介だ。
なぜなら、物事の善悪、人の良し悪しを見抜けないからだ。

良い人は相手を疑ったり、悪意がある前提で物事を見ないから「何だかおかしいな~?」と思うまでに時間がかかる。気付いた頃には時既に遅し…となることが多いのだ。

幼少期、両親の愛情をたっぷり受け、親の言うことに何の疑いもなく育った子は、得てしてそうなりがちな気がする。
一見恵まれた親のもと成長したと見えるものの、大きな落とし穴は、親が転ばぬ先の杖で、子供の人生をリードし過ぎて、子供が自身の人生を考える訓練をされてないことだ。

同じように両親から愛情たっぷりに受けていても、親がここぞという時に手も口も出さない親の元に育てば、子供は自ら考えざるを得ない。その過程では、痛い目に遭うこともあるだろうが、転ばないと気付けないことのほうが世の中は圧倒的だから、それはその子にとって学びとなる。

一見同じ愛情であっても、ただ甘やかすだけと、愛のある厳しさで以て育てられた子は雲泥の差で、それは、人間を見る目を養い、生きる力を磨くのだ。

誰しもがまともな親の元の育ちたいと思っても、ほとんどがそうでないだろう。
人間、誰にだって欠点はある。自身の足りない処や、補っていかなければならないことに気付けるかどうかで、人生は左右される。

「ずるい人」も「カモにされる人」にも共通するのは、自分の芯がないことだ。
他力本願、日和見主義で、一人で立ち生きていくことへの覚悟がないのだ。

だから、ずるいことばかりして楽をしようとするし、他人に騙されていることにも気付けないのだ。

今更「親に甘やかされた」とか「放置されていた」とか言っても仕方ない。
気付いた時に、自分で自身を変えていく、一本筋の通った人間になるべく、自ら精進していくしかないのだ。


enji_152 at 07:01|PermalinkComments(0)今世 | 人の道

2021年09月20日

固執は孤独を生む

本当の友はどこにいるのか?大切にすべき友を見極める、4つの基準を読んだ。

本当の友達って、どれくらいいるだろう?と考えた。
学生時代からの友達、社会人になってからの友達…と、未だに長く付き合っている友達とは、やはり真の友達と言っていいような気がする。

年に一度会えるかどうかだが、今やネットを介していつでもやり取りが出来るから、そういう意味では、離れた場所にいても、心は互いを思い遣っているように感じる。

私くらいの年齢になると、人間関係も淘汰されているので、記事にあるような自分にとってマイナスになるような人と付き合うことはない。

今は互いを叱咤激励出来る関係の友達しか残っていない。
それは、自分にとって大きな財産だなと思う。

世の中には自分の考えに固執し、周りの意見に耳を貸さない者もいる。
そうなると、友達でなくとも、周囲から人が自然と離れていくのは明白だ。

そうやって自ら孤独を招いておきながら、結局寂しくなって周囲に自分の存在を知らしめるために余計意固地になったり、場合によっては罪を犯してまで人の気を引こうとする者もいる。

友達や周囲の人間関係に恵まれないこともまた、自分の思考、行動の至らなさが原因なのだが、固執思考の人はそれにさえ気付けないから厄介だ。

強く握りしめて離せない何かを思い切って手放してみると楽になれるのだが…。
その勇気を持つには、やはり励まし支えてくれる友が必要なのだろう。

enji_152 at 06:29|PermalinkComments(0)今世 | 人の道

2021年09月19日

自分で選んだ人生

最近若者の間で「親ガチャ」という言葉が流行っている。

「自分が生まれる場所や親は選べない、人生は運次第」ガチャとは、ソーシャルゲームのクジ引きのことを指すそうだ。

更に、貧乏な家に生まれたら、行きたい学校にも行けず、苦労を強いられたり、虐待するような親のことを「親ガチャに外れた」と言うそうだ。

一見、自分の親は選べないように思えるが、実は誰もが親を選んで生まれてきていると私は思っている。
なぜなら、何の縁もない処に人は生まれないし、前世からの繋がりがあるからこそ、その続きの修行をするために生まれ変わっているからだ。

人生に運が左右することもあるだろうが、裕福な家庭に生まれても、その先の人生は必ず幸せとは限らない。誰もが羨むような家に生まれ育っても、自死する人はいるし、グレて家を飛び出す者もいる。

片や貧乏な家に生まれても、それを環境のせいにせず、自分で働いて上の学校まで行き、自分が進むべき道を歩んでいる者だって多くいる。

自分の人生が上手くいかない言い訳を、親ガチャや周囲、環境のせいにするほうが気が楽なのかもしれないが、そんなことを言っているようでは、この先の人生に良いことが待っているはずがない。

例え自分で選んで生まれてきていないとしても、人間はこの世で役目を果たすために生まれてきているのだから、そのために精進するのは当たり前で、その過程には多くの苦労が待っていることも当然あり得る。むしろ、苦労の連続だと思ったほうが良い。

役目を果たすために力を発揮することもせず、生まれ育った環境に文句を行ったところで何の解決にもならない。

ごはんを食べるにもその準備が必要なように、生きていくことは「やらなければならない」ことの連続だ。事を成すうえにおいて、労せず成しえることは一つもない。

「親ガチャに外れた」なぞとほざいている暇があったら、とっとと自分の使命を果たすべく死に物狂いで精進し続けるしかないのだ。その先にしか、真の幸せはあり得ないのだ。


2021年09月18日

「自分だけ」である限り

精神科医が警告! 絶対にやめるべき「心をむしばむ口癖」とは?を読んだ。

記事によると「なぜ自分だけ?」を口にする人は、自身のツライ出来事を感情と結び付けてしまうので、いつまで経ってもそのことを忘れられず、負の感情から抜け出せない、というものだ。

確かに自尊心の低い人からは「自分なんか」「自分だけが」といったネガティブな発言が多い。

そうなるにはなるなりの原因があり、それだけ本人にとってはツライ出来事がトラウマになっているということだ。そんな人に「そんなことは忘れなよ」と言っても無駄だ。

一度こびりついたネガティブな感情はそうそう変わるものではない。
むしろ、それがその人にとってはスタンダードにさえなり、今更ポジティブ思考にシフトすることは容易ではないのだ。

病気していることを自慢気に話す人もそうだが、悲劇のヒロイン状態であることに安住している人がいることもある。それは、自分がどれほどか弱いかをアピールすることで、周囲の気を引こうとしているのだ。

ネガティブを安住の地としていることで心の安らぎを得られているなら、それはそれでアリかもしれないが、少なくともそこから抜け出したいと思うのであれば、負の感情が湧かないよう、過去のツライことにしがみつくことを止めるべきだ。

しがみつけばつくほど、問題は一向に解決しない。
思い切って手放してみれば「あれ?こんなに簡単だった?」と思うほど拍子抜けするだろう。

「自分だけ」が一向に幸せになれないのは、取りも直さず「自分だけ」が負の連鎖から抜け出せない、いや抜け出そうとしないからだ。


enji_152 at 08:47|PermalinkComments(0)今世 | 人の道

2021年09月17日

この地震が意味するもの

2021年9月14日7時46分に東海道南方沖を震源とする地震が発生した。

千代田区の職場にいたが、ユラ~っとビルが揺れ出し、それは数十秒間続いた。
これ以上揺れが大きくならないように祈りながら、動向を見守った。
ほどなくして揺れは収まり、それ以上揺れることはなかった。

後で震源地を確認したところ、東海沖となっており、近隣の静岡県や神奈川県ではなく、なぜかそこから離れた関東、東北方面が揺れたことに驚いた。

しかも、東京では千代田区だけが震度3なのだ。
他区は震度2または1だった。

そんなピンポイントで?千代田区だけ震度3というのが何となく解せない。
千代田区は皇居も政府省庁が立ち並んでいる。

何だろう?この違和感。

この地震に疑問を感じたのは、私だけではない気がする。
さて、あなたはどう思いますか?

2021年09月16日

最期まで「元気に働く=生きる」ために

45歳定年制に憤る人に知ってほしい働き方の現実を読んだ。

最近物議を醸している「45歳定年制」だが、個人的にはアリだな!と思う。

私が以前勤めていた会社は、50歳役職定年制度を導入している。
それは、50歳になると基本的に使い物にならない、という烙印を押されているのと、長い間管理職に就いていると、業者と結託して悪さをしたり、社内のお金を個人流用したりする輩を出さないという目論見もあるのだと推察する。

私がいた職場は、見た目華やかだったから、役職付きの人達は日々接待三昧だった。
接待される側のほうだ。そんなことが日常茶飯事だと、そりゃあ勘違いもするよな~と、端から見ていて常々感じていた。

一企業で役職に就けたところで、退職してしまえばタダの人だ。
後ろ盾のないオッサンなど、誰も相手にはしてくれない。それが分からず、自分だけがエライと勘違いしてる人結構いたな~と、過去を振り返って思った。

こういう人達は、接待が仕事なのか?というほど、本来の仕事をしないし、パフォーマンスを発揮出来ない。役職という魔物に食いつくされたのか?気が緩んだのか?途端にただのパワハラ上司に成り下がるのだ。

皆が皆そうとは言わないが、往々にしてそうなりがちな現実を多く目にしてきた身としては、45歳くらいで一度人生リセットするのも悪くないと思う。

最初から45歳で定年と思えば、その後の人生を考えて、より多くのスキルを身に付けるべく精進せざるを得ないからだ。

かくいう私も良い歳をしたオバちゃんだが、将来年金だけでは間違いなく生きていけないことは必至なので、今から老後に向けて収入を得られるよう、着々と準備を進めるべくスキルアップに励んでいる。

そうやって精進し続けていれば、ボケる可能性も低くなる。
人間たるもの、やはり死ぬまで必死に働くことが肝要なのだろうと、痛感するこの頃だ。

2021年09月15日

事態は深刻

ミサイル網担う奄美「有事の島外脱出策ない」深刻を読んだ。

この記事を読んで思ったのは「奄美にまでアメリカ軍が駐屯しているのか…」ということだ。

今や中国は台湾を手中にするべく着々と進行、攻撃を目論んでいる。
万一台湾が陥落すると、次に狙われるのは、尖閣諸島だ。

尖閣諸島の目と鼻の先には沖縄の島々がある。
与那国島、宮古島には自衛隊基地が配備され、中国の動きを逐次観察、警戒している。

そこに先日もニュースになったが、石垣島にも基地が作られることになった。
【独自】石垣島にミサイル部隊配備へ…中国に対抗する狙い、南西諸島は4拠点態勢に

奄美大島に自衛隊がいることは知っていたが、有事になればアメリカ軍が介入することは容易に想像がつく。

世の中どんどんきな臭い方向に進んでいることがとても気になるが、国民は相変わらず能天気でコロナのことに心を奪われ、そこまで迫っている有事に気付かないでいる。

もっと世界を見渡し、現状を把握することが大切だ。
そのうえで、自分の成すべきことに精進する。それが、一人ひとりに出来ることなのだ。

愚かでしかない戦争は二度と繰り返してはならないと、節に願っている。

2021年09月14日

一歩引いた目線で

感情をフラットにする「俯瞰力」の鍛え方を読んだ。

最近感じることのひとつに、俯瞰して物事を見ている人が少ないな、ということだ。

特に仕事においてそれは顕著で、自分の仕事だけ、目の前の仕事しか見えてない人が多い現実に、日々頭を痛めている。

とはいえ、それもこれも業務量が多すぎて、俯瞰して捉える余裕がないだけなのかもしれないし、そういう見方があることさえ気付いてないのかもしれない。
いずれにしても、気付けていない人に「なぜ分からない?」と言っても意味がない。

仕事にしろ、日常生活にしろ、全体像を把握したうえで動くと無駄がないと常々感じている。
無駄が悪いわけではないが、私自身から回りして、後で地団駄を踏んできた過去があるため、少しずつ全体像を把握してから動くようになった経緯がある。

そうすると、割合物事はスムーズに行くし、1日終わった後の達成感もある。

記事にあるように、物事にはいろんな側面があり、自分が見えていない場面もあることを思うと、嫌な出来事に遭遇しても、違った側面を妄想することが出来、イヤな事柄が案外面白い展開になることもある。
全てがそう上手くいくわけではないが、そうなれるよう心を整える、平常心でいられる自分でいたいと思っている。

物事、人間関係において、俯瞰する見方をして損をすることはまずないだろう。

enji_152 at 05:44|PermalinkComments(0)今世 | 課題

2021年09月13日

放ったのは自分

精神科医・樺沢紫苑の「読む!エナジードリンク」自分が発するマイナスエネルギーに要注意!SNSの悪口は100倍で返るを読んだ。

昨日のブログでも、他人の悪口を言う人は哀れな人であることを書いたが、その哀れには、悪口を言えば言うほど、それがすべて自分に還ってくることが分からないことも含まれている。

そんなバカな…と思うかもしれないが、自分の行為はそのまま自分にハネ還ってくるのが、物事の道理だから、どんなに疑っても意味がない。

影で人を助ける人は、自分が黙っていても、助けられた人が恩に感じているから、自然に「あの人は口には出さないけど、こんなに良い人だ」と自らが語らずとも他人が語ってくれる。

他人に良くする人でも「自分はこんなに他人のために尽くした」などと自慢する人には、周囲も冷たくなる。どんなに良い行いをしても、それを得意気に披歴すれば、その時点で人徳を落としたことになる。

悪口を言う人は、それで一時の快感を得られるのかもしれないが、それは巡り巡って、更には何十倍にもなって自分の身に降りかかる。

その証拠に、人を妬ましく思う心しか湧かないことが、既に自分を苦しめており、荒廃した心が救われることは永遠にやって来ない。だからなのか、さらに悪口を上塗りをして自分をどこどこまでも貶めていく。

生きていくうえで毎日仕事や家事、育児等々、やることは尽きない。だが、それらをこなさないことには生活が成り立たないのと同じで、やればやっただけの成果が生まれるのだから、他人の悪口ばかり言っているうちは、間違いなく幸せは訪れないのだ。

幸せになりたければ、他人を妬まない、悪口を言わない。悪い心が起きても、それを忘れる努力をすることが必要だ。

今自分が不幸だと思う人は、それは自分のこれまでの行いの結果だということを悟ったほうが良い。
他人のせいにしている間は、どんなに頑張っても、決して良い結果には繋がらないのだから。

enji_152 at 12:59|PermalinkComments(0)今世 | 課題

2021年09月12日

我が道を行く強さ

ひろゆきが「悪口を言われたときに1秒で対処する方法」ベスト1に共感。

社会生活を営むうえで避けて通れないのが、人間関係だ。

幼少期から大人になっても、人との摩擦は無くならず、中には他人の悪口が好物の人もいる。
他人と上手くやっていけない原因を、全て他人のせいだと思う人が多いのは、そのほうが楽だからだ。

上手くやっていけない人とどう上手に付き合っていくかを考えることは、正直面倒だ。
嫌いな人のために自分の貴重な時間を割いてまで、思考することが損にも思えるし、それよりももっと楽しいことをしたいと思うのが人情だろう。

とはいえ、嫌いな人はそうそういなくなるものではない。
どこに逃げたとしても、必ずそういう人は現れるし、悪口を言う人も後を絶たない。

私は嫌いな人とは適度な距離を保ち、表向きな付き合いしかしない。
言い方は悪いが、その場凌ぎが出来ればそれで良いと思っている。
価値観の違う人にどんなに話したところで、その人が変わることは、まずないからだ。

今は、悪口を言う人と付き合うことはほぼない。
そういう人がいたとしても、完全スルーするからだ。

記事にあるように「犬が吠えている」くらいにしか思っていない。
他人の悪口を言う人というのは、大概自分に自信がなく、他人を羨ましく思っているからだ。

そんな哀れな人に自分の神経をする減らすことほど、バカらしいことはない。

とはいえ、忍耐力が減退している現代人たるもの、他人の悪口くらいで揺らぐようでは我が道は行けない。
周囲に顕著な迷惑をかけていなければ、胸を張って、自分の信じる道を迷うことなく進むきだ。

そうすれば、悪口を言っていた人たちもそのうち飽きて、何も言わなくなるものだ。

enji_152 at 10:26|PermalinkComments(0)今世 | 課題