2022年08月

2022年08月31日

夏の終わりに

とある庭園のベンチの下で、ひっくり返っているセミを見つけた。
周囲にある枯れ葉でセミを起こしてみた。すると、何と!そのセミはまだ生きていて、ゆっくり歩き始めたではないか!

地上に出て1週間、懸命に生き通し、最期の時に木から落ちて仰向けになってしまい、自力では起き上がれなかったのだろう。だが、地面に足が着いた瞬間、動き、何とか前へ進もうと、最後の力を振り絞っているように見えた。

生きとし生ける全ての生物は、その寿命を全うすることだけに注力している。
セミは長い年月土の中にいるが、地上に出たらたったの1週間しか生きられない。それでもセミの役割を果たし、子孫を残して朽ちていくのだ。
何て尊いのだろうと、その姿を見て思わされた。

人間はそれに比べたら生存年月も長いから比較にはならないかもしれないが、生きるという意味においての根本的な事柄は、他の生物と何ら変わらないのではないか、とも思った。

寿命が尽きるまで必死に生きる!!それが、命を与えられたものの役目なのだ。
そして、その命は次の命へと受け継がれていく。

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2022年08月29日

遅ればせながら?

今年の夏はというか、年を追うごとに、その暑さの異常を感じるのだが、今年はこれまでで一番暑い日が長く続いたように思う。

思い返せば6月の梅雨時に35度を超える日が続き、7月になると猛暑とゲリラ豪雨の繰り返し、8月になってもそれは変わらず、先週末くらいから少しずつ秋の気配を感じるようになってきた。

暑さにめっぽう弱い私にとってこの季節は冬眠ならぬ夏眠状態で、仕事がほぼテレワークなこともあり、用事がない限り一歩も外に出ず過ごした。

暑さのせいか、蝉の声もほぼ聞こえることもなく、蚊に刺されることもなく、昆虫類を目にすることはほとんど無かった。家にいるのだから、それらと出会うことはないだろうと思われるかもしれないが、我が家には猫の額ほどの庭があり、そこには朝からスズメ達が雑草の根を食すために訪れるし、蝶々やトンボもやってくる。

そんな狭い庭にも季節の訪れを感じることは出来るもので、涼しくなったこの一両日ほどから、蝉がやたらと鳴き始めた。これまでも鳴いていたのかもしれないが、ようやく私の耳にも聞こえるようになってきた。

朝晩涼しくなり、昨日からクーラー要らずの快適さだ。
蝉の大合唱を聞きながら、トンボや蝶々達を自宅で愛でられるなんて、シアワセなひと時だな~と感じている。

2022年08月28日

自由研究の思い出

子供達の夏休みに宿題は付き物で、最も頭を悩ますのは「自由研究」ではないだろうか。

とはいえ、昨今では企業の工場見学やら水族館のバックヤード見学やらと、昔では立入禁止エリアだった場所を解放し、子供達に興味を持ってもらおうという企画が多くあるし、インターネットを使っての調べ者も簡単に出来るようになっている。

先日報道番組で観たのが、自分の家の近所に生息している植物をアプリのカメラにかざすと、すぐに名前やその詳細を表示してくれる、というものがあった。そのアプリを使えば、散歩感覚で近所を散策しながら植物の知識までゲット出来るうえ、それが自由研究にも繋がるのだから、今時はスゴイな~と感心した。

私が子供の頃の自由研究は何を提出するのか全くもって検討もつかず、毎年トンチンカンなものばかり提出していたが、小学校5年か6年生の頃だったろうか、父が近所の田んぼの水路で白いおたまじゃくしを見つけ、それを持ち帰り毎日観察することにし、自由研究のテーマにして提出した。

白いおたまじゃくしは、今で言うところのアルビノだ。
体全体は白く透き通っていて、内臓も透けて見えるし、目は赤かった。
バケツに水を張り、そこにおたまじゃくしと水草を入れて毎日観察し、おたまじゃくしからカエルになるまでを日記にまとめた。おたまじゃくしから手や足が生え、あとは尻尾が無くなるところまできたが、その頃おたまじゃくしは死んでしまった。

ずっとバケツに入れていたのが悪かったのだろう。子供の浅智恵で飼育していたことで、カエルになる前に死なせてしまって、それは結構ショックだった。

とはいえ、白いおたまじゃくしはその当時は珍しく、地元の新聞にも載ったし、研究成果は長い巻物にして提出したのだが、それが市のコンクールで最高賞を取ってしまい、博物館に1カ月間観察巻物が展示された。

小学生時代の最も輝かしい歴史といって良いだろう。とはいえ、子供の観察日記なので、結構いい加減だ。こんなんで多くの人達から賛辞され、人生こんなんで良いんだろうか?と思ったものだ。

いずれにしても、自由研究なるものが現代にも続いていることは良いことなのだろう。
思わぬところで自分の可能性を見つけるヒントになるかもしれないし、それが自分の未来を大きく左右することに繋がることだってないとは言えないだろう。

2022年08月27日

決まり事の必要性

校則を各学校のホームページに掲載しようという動きが加速している。
育つ環境や価値観の違う子供達が一同に会する場所となる学校では、ある程度の規則である校則が必要なことは理解出来る。

が!スカート丈の長さやソックス、髪結いゴムの色、髪の長さ等といったことまで細かく決める必要はあるのだろうか?と、個人的に疑問だ。

確かに、子供達が一斉に清潔感溢れる制服を着て街を歩く様は美しいと思うものの、若者とは思えぬ見事な猫背姿勢であったり、ダラダラ歩いている姿を見ることもあり、見た目だけ整えていても、あまり意味がないように思うこともある。

私は幼少期から髪の色が明るい茶色のため、必ず職員室に呼ばれ髪の色について言及されたことは何度もある。教師たるもの、何度説明しても理解せず、本当に困ったことが何度もあった。特に、夏は陽に当たると茶色度がさらに増して若干金髪がかってくるから、夏休み明けにはまた同じことを聞かれていた。

子供達にとって窮屈でしかない校則は、時代錯誤のものであったり、大人達にとって都合の良いことが並べられていることもある。簡単に言えば、管理しやすくするためのものであり、本当に子供達のことを思ってのことかどうかは疑問が残るような校則が多すぎるのだ。

いっそのこと、校則なるものは、子供達に議論させ、自分達で作らせれば良いのだ。
そうすれば文句を言うことも無くなるだろうし、自分達で決めたことであれば納得もいくだろう。

どんなに校則が厳しくても緩くても、ズルをする人間は一定数いるし、それらに縛られる事が無くても、自制の利く人間だっているのだから、ルールというのはあってないようなものだ。
周囲の大人達を見渡してみれば、それは一目瞭然だろう。

決まり事は必要なこともあるが、自身が納得していなければ何の役にも立たないのだから、まずはその必要性を説いていくこと、納得してもらうことが肝要ではないだろうか。

enji_152 at 09:41|PermalinkComments(0)今世 | 課題

2022年08月22日

人間が生きていけるのは

色鮮やかだったサンゴが…真っ白になり弱る 沖縄・石垣島と宮古島 台風が来ないと起こるのはなぜ?を読んだ。

ここ数年の本州の夏の暑さは異常だ。
温暖化の影響で地球の温度が上昇していることが大きな要因だ。
昔は沖縄の夏は暑かったが、今や沖縄より本州のほうがそれを越えてしまっている。

台風といえば、沖縄を始めとする南方で起きるイメージだが、これも夏の暑さ同様、近年では本州に上陸または縦断するケースが増えている。上陸しないまでも、本州の太平洋側を通ることで爆弾低気圧が頻発し、線状降水帯なるものまで発生しており、本州はいつどこで大雨に見舞われるか分からない状況が続いている。

台風が来るということは、南方においては悪いことばかりではなく、海水温を下げる役割があるため、珊瑚礁が生息するのに適した温度を保っているが、ここ数年は沖縄を通る台風も少なく、海の温度が上昇することで、珊瑚が白化している。

珊瑚は多くの魚達の住処であり、拠り所であり、海中での生態系を司る役目も担っている。
珊瑚が白化、つまり死んでしまうと、それに伴い私達には計り知れない多くの生態系のバランスが崩れることを意味する。

地球の気温が1℃上がるだけで、人間には想像しえない大きな影響が生じているのに、未だ私達はその改善に全力を尽くそうとしていない。
目の前の生活に追われているのが現実で、それは仕方ないことなのかもしれないが、このまま放置していれば、近い未来において、人間の生存は危うくなるかもしれない、いや、必然的にそうなってしまうだろう。

自然が健全であればこそ、人間は生かされているのだから…。

enji_152 at 16:59|PermalinkComments(0)今世 | 守るべきもの

2022年08月21日

女子会、男子会

久しぶりに学生時代の友人とちょっと高級な休日ランチを楽しんだ。
夜だと高くて手が出せない店も、ランチなら何とか行けるかも?という感じのお店だ。

この手の店は女性同士またはカップルが殆どで、まずもって男性同士を見かけることはない。
女性はいくつになっても同性同士で食事や旅行することに違和感がないが、それがこと男性同士だと周囲の目が痛いのはなぜだろう?

女性が結婚適齢期を過ぎて一人でいてもあれこれ言われることはあまりないのに、男性が独身だと「何か問題があるのか?」と疑われる。それも気の毒だな、と思う。

今や性差を疑問視するのはタブーだし、同性であろうと異性であろうと、当人同士が心通わせ穏やかに過ごせる相手なら、誰にも文句を言われる筋合いはないだろうが、それでもやはり男性同士のグループというのは冷ややかな視線を向けられるのが現実だ。

女性が高齢になっても女子会というのは許される風潮にあるが、高齢男性が男子会なんて言ったら、さて世間の反応はどうだろう?名称の問題かもしれないが、これからは同性同士が堂々と楽しめる場が増えると世の中も良い方向へ進むのではないだろうか…と思う昨今だ。


2022年08月14日

どんな美人も…

80年代のアイドルは私と同世代だ。
共に青春を駆け抜けた?感があり、彼ら彼女らの同行にはやはり耳目を傾けてしまう。

人から見られる職業だからか、もともとあるキラキラオーラのせいか、彼らはいつまで経っても若く見えるし、活躍を目にすると、こちらも元気が湧いてくる。

とはいえ、寄る年波にはかなわないもので、誰しも歳相応に老いていくものだ。
殊に、若い頃美人でスタイルが良かった人ほど?その差異に驚くことがしばしばある。

そんな彼女達を見るにつけ、若い頃はあんなにかわいかったのに、歳を取ったらやっぱり普通のおばちゃんになるんだな~などと思っている。
かくいう自分もそうなのだが、やはり加齢には抗えない、ということだろう。

だが、それもまた素敵なことだと思う。
若い頃どんなに美人で男達から言い寄られていたとしても、中高年になれば余計なところに肉がつき、顔も体型も一様に変わっていくのだから、違う角度で見ると、同世代は皆同じ!と妙な一体感さえ覚えてしまう(私の勝手な思い込み!)。

そうやって人間は良い意味で、見た目も精神も図太くなっていくのだ。
若さを保つために、整形や注射などせず、ありのままの自分で、図太く楽しく生きていくほうが人間らしいと思う。

2022年08月12日

他力本願の甘ったれ

世間には何でも他人任せで、自分の思考や行動で解決に導こうとしない人がいる。
あれこれ周囲の意見を聞き、自分にとって一番得であろう情報を選択するものの、やっぱりそっちじゃなくて、こっちにすれば良かった、というタイプだ。

先日もとある集まりでその人と遭遇する機会があった。
以前から私は距離を置いて接しているが、彼女が抱えている案件で、他人の意見に翻弄され、自分で選択したくせに、案の定文句を言ってきた。私が提案したわけではないので、私に文句を言うのは筋違いだと思うのだが、要はままならない現状を助けて欲しい、ということのようだ。

私にしてみれば、よくもそんな図々しいことを言えたものだと呆れるばかり。
これまで彼女に有益な情報を与えたことはあっても、私が彼女から与えてもらったものは…探しても見当たらなかった。

人間の関係性は良い意味でギブ&テイクだと思う。
何かをしたからお返しをしろ!というのではなく、互いにフォローしながら高め合っていくことが大切だと私は思っている。

なのに、会うたびにギブばかり要求されたのではたまったものではない。
友人であれば互いを高め合える人としか付き合わないから、こういうことはまず起こりえないのだが、とある関係性から無下にも出来ず、かといって深く関わりたくないので「自分で良いと思うことをすれば良いんじゃない?自分のことで精いっぱいで、人様のことまで手が回らないから」と、やんわり?お断りした。

他力本願な人は、どんなにこちらが親切を尽くしたところで満足することはないから、程よい距離感を保ちつつ、大人の付き合いをしていくしかないようだ。

enji_152 at 12:19|PermalinkComments(0)今世 | それって…

2022年08月11日

腹囲計測

健康診断で許せないのは、バリュームを飲んで、機械の上でグルグル身体を回されるやつと、腹囲計測だ。

バリューム検査は論外だが、腹囲計測に関してはいい加減だな~と思うのは私だけだろうか?
最新設備を備えた病院や健診に特化した施設なら違うかもしれないが、職場の健診だと、今だに人がメジャー持って、人の腹回りを測るのだ。

これって、測る人の匙加減でおそらく5センチプラスマイナスくらいあるのではないだろうか?と思えてならない。特に今年は節電の呼びかけもあって、腹囲を測る部屋はちょっと薄暗かったから、もしかしたらメジャーの読み間違いとかもあるかもしれない。

体重は確実に毎年落ちていってるのに、なぜか腹囲だけは大きくなってる検査結果を目にして、そんなことある?と思ってしまった。
歳を取れば筋肉が落ちて、脂肪だけが増えていくのは世の常だが、他の検査項目については、ダイエットのおかげか?数値が良くなっていた。なのに、腹囲だけが腹だけに?膨らんでいた。

私がダイエットをしているのは、若い頃から大酒飲みでもないのに、肝臓と腎臓の数値が悪いからだ。
若い頃というのは、子供の頃から、ということで、もともとがそういう体質ではあるものの、やはり普段から食べ過ぎないよう、適度な運動もしつつ、更年期太りを視野に入れながら、健康管理には気を付けている。

その甲斐もあってか、今年初めて尿たんぱくも出なかった。これは私にとってはおおいなる快挙だ。
父が腎臓病を患っていたせいもあり、私も遺伝でそれを引き継いでいるようで、腎臓の検査では常に尿たんぱくや潜血が出ていて、いつも再検査をするハメになるのだが、だからといって、臓器自体には問題はなく、いつも二度手間を食らわされている。

今年の健診ではある意味快挙的結果をもたらしているにも関わらず、なぜか腹囲だけが意外なものであったことに、軽くイラっとしている。とはいえ、まだまだデブ路線まっしぐらなので、地道に体重と体脂肪を落としていきたいと思っている。

enji_152 at 09:45|PermalinkComments(0)今世 | 身体のこと

2022年08月07日

本当に怖いのは…

映像の世紀プレミアム(9)「独裁者 3人の“狂気”」の再放送を見た。

イタリアのムッソリーニ、ソビエト(現在のロシア)のスターリン、ドイツのヒットラーという、3人の独裁者の栄枯盛衰の映像だ。

いつの世にも独裁者はいるものの、時間が経てば必ずそれらは淘汰され、また年月が経つとそれらを求める風潮は繰り返される。

今まさにロシアはその轍を踏もうとしているというか、すでに独裁者への道を歩み始めており、プーチン大統領はスターリンに絶大なる尊敬と思慕の念があるようで、彼はスターリンになりたいのだな、と思わされた。

第二次世界大戦の結果から暗殺されたり自死することのなかったのはスターリンだけであることからか、中国、北朝鮮もスターリン思想に感化され、彼の指導を仰いでおり、それが今でも続いている。

プーチンが30年以上続いたスターリンのソビエト連邦時代を復活させたいという野望から、今のウクライナ侵攻があるわけで、ロシア国内でもまたスターリン時代を仰ぐ者達が増えているのも現実のようだ。
歴史は繰り返すというが、まさにロシアは昔に戻ろうとしている。

だが、そんな彼らとて、いつかは命果てる日が来る。
しかも、多くの命を犠牲にし、計り知れない恨みを買っているのだから、良い最期を迎えられる道理はない。例え、スターリンのようにうまい具合に寿命を全うしたとしても、魂は永遠に生き続けることを思えば、彼の犯した罪は消えることはないし、その償いは永遠だ。

また、そんな彼らを野放しにし、最後は見殺しにした民衆はもっと罪深いかもしれない。
独裁者と言う名の指導者におんぶにだっこで、何か事が起きれば手のひら返しをするのが民衆だ。

独裁者が怖いと思っていたが、どうやらそれは違うのかもしれないと、この番組を見て思わされた。


enji_152 at 16:58|PermalinkComments(0)今世 | 人の道

2022年08月05日

強欲も過ぎると

ペロシ米下院議長訪台の徹底検証-未曾有の対米軍事恫喝で「火遊びして火傷した」習近平政権の大失敗を読んだ。

香港も台湾も中国である!という強い主張をする中国共産党。
ある側面からはそうかもしれないが、これまで独立国的位置づけであったそれらを、共産党の配下に併合し、これまでの自由を奪い、何もかも漢民族寄りにしてしまおうという思考は愚かとしか言いようがない。

ウイグル族、チベット族、モンゴル族…といった中国にいる少数民族を収容所に送り込んでは、漢民族思想に洗脳し、女性は不妊手術までするという、鬼畜所業がまかり通る国。

そこまでして、中国を世界第一国に押し上げ、世界を漢民族で支配したいということだろうか?

世界はそれを許さないし、ヒーロー気取りのアメリカが一番にノーというのは想像つくものの、武器を持ってるわけでも、攻撃するわけでもない、アメリカのいち政治家が台湾を訪問するというだけで、台湾包囲網を敷くとは…。

大国である割には、あまりのビビり態勢のように思われて仕方ないが、怖いのは逆切れして攻撃を始めてしまうことだ。

社会主義国の独裁者は、中国しかり、ロシアしかり、北朝鮮しかり、他人のものを欲しがり、手中に収めないと気が済まないようだ。
自分の意のままにならないと駄々をこね、何かあれば逆切れし、ミサイルをぶっ放す。

あまりにも小物感しかない。

そんなことをして手にしたところで、多くの人の恨みを買うことになるから、長続きはしない。
そんなことは人類史上、多くの独裁者が辿った末路でありながら、懲りずに同じことを繰り返すのだから、始末が悪い。自分だけは大丈夫とでも思っているのだろうか…。

いずれの独裁者も、先は長くない。それが人の道だ。


enji_152 at 07:52|PermalinkComments(0)今世 | 人の道