2016年04月14日
キレる老人(つづき)
キレる老人のつづき。
老人がキレ易い原因のひとつに、現代人は老人を敬わない、というのがある。
昔は今ほど情報の伝達が早くないから、生きる知恵は年配者から教わるのが日常だった。
そうなると、自然と教えてくれる人を大切にするし、尊敬の念を抱くことにもなる。
それは、老人の自尊心を大切にすることにもなり、老人も若者も互いの利害が一致する結果となった。
今は、スマホやパソコンでチャチャッと情報を取り出せる世の中だ。
クドクド話の長い老人にいちいちお伺いを立てる必要もない。
時には、年配者の意見が有用なこともあるが、その機会が減っている、というのが現実だろう。
情報操作が目まぐるしく進化しているせいで、それについていけない老人は、徐々に排他的な扱いになってしまう。
あまりにも、昔と今が違いすぎる、というのが要因なのかもしれない。
だが、今も昔も、時代は刻々と進化している。
100%追いつけなくても、追いつく努力は必要なのだ。
悠悠自適なリタイヤ生活は、実はこれまで以上に精進せねばならない時間なのかもしれない
老人がキレ易い原因のひとつに、現代人は老人を敬わない、というのがある。
昔は今ほど情報の伝達が早くないから、生きる知恵は年配者から教わるのが日常だった。
そうなると、自然と教えてくれる人を大切にするし、尊敬の念を抱くことにもなる。
それは、老人の自尊心を大切にすることにもなり、老人も若者も互いの利害が一致する結果となった。
今は、スマホやパソコンでチャチャッと情報を取り出せる世の中だ。
クドクド話の長い老人にいちいちお伺いを立てる必要もない。
時には、年配者の意見が有用なこともあるが、その機会が減っている、というのが現実だろう。
情報操作が目まぐるしく進化しているせいで、それについていけない老人は、徐々に排他的な扱いになってしまう。
あまりにも、昔と今が違いすぎる、というのが要因なのかもしれない。
だが、今も昔も、時代は刻々と進化している。
100%追いつけなくても、追いつく努力は必要なのだ。
悠悠自適なリタイヤ生活は、実はこれまで以上に精進せねばならない時間なのかもしれない