進化は丸裸表面だけでは

2019年11月03日

魂の行方は

令和元年10月31日未明に首里城が灰燼に帰した。
沖縄本島に行けば必ず首里城に足を運んでいたし、個人的に一方ならぬ思い入れがあった。

最後に行ったのは2016年12月だ。
この時、玉陵(たまうどぅん)に参拝した際、抑圧された感情が爆発しそうな感覚に襲われ「大丈夫だろうか?」と、ふと不安を感じた。

以前玉陵を参拝した際には、霊様から歓待されたように感じたが、この時は何か厳しい感情を受け取ってしまった。私のただの勘違いならば良いが…と思っていた。

昨年40年ぶりに玉陵で清明祭が行われ、今年も王家、第二尚氏直系23代当主が祭主を務め仕えられた。
約半世紀ぶりに行われたことで、何か目には見えない働きが動いたのかもしれない、と個人的には感じている。

家事の火元が正殿の分電盤のショートによるものと報道されているが、それが本当ならば不思議な話だ。
何十年も前の分電盤ならまだしも、定期的にメンテナンスも行われているであろうこの場所で、そういうことが自然現象としてあり得るのだろうか…。
今回のことは何がしかの思いが大きく左右しているように思えてならない。

個人的感情で無責任なことを言うべきではないが、それが大切で大事であるからこそ、今回のことを真摯に受け止め、沖縄の在り方に思いを寄せ、霊様も人も共に喜べる場所になって欲しいと、心から願っている。

2016年12月撮影の首里城
20191103_ブログ



enji_152 at 21:13│Comments(0)前世 | 繋がっているもの

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