明日のことは誰にも分からない若者から学ぶ

2023年03月12日

他人の幸せ=自分の幸せ

日テレで放送している「ブラッシュアップライフ」を毎週楽しみに観ている。
主人公が30代で交通事故で亡くなり、あの世の番人から「来世は南米に生息するアリクイです」と言われ躊躇していると、今世をやり直す選択があることを知らされ、また今世に戻って一から人生をやり直す、という内容だ。

意図しない死に方であの世の番人から「あなたは今世での徳が足りないので、来世はアリクイです」と言われたら、誰しも「え?徳?」と思うだろう。

「人徳」という言葉を聞いたことはあるだろう。「あの人は人徳があるから」という言葉の意味合いとして「自我の欲得のために動くことなく、他人に親切を尽くし、周囲をシアワセに導く人」のことだ。

メジャーリーガーの大谷選手が、球場でゴミを見付けるとさりげなく拾ってユニフォームのポケットに仕舞う仕草を見ることがある。あれも人として徳を積む行為のひとつだ。

だからと言って、他人がゴミを拾わないことを責めることもないし、周囲が気持ち良く過ごせるために自ら行動し、喜ばれる働きを成す、それが徳を積むということだ。

先のドラマでは最終的に5回人生をやり直すことになるのだが、そこに行き着くまでに、どれほど多くの徳を積む修行をしてきたことか!他人の幸せを願い行動すること、それを人生5回、ゆうに100年以上の時を掛けて習得していくのだが…。

私達がこの世に生まれてくる意味は、自分がシアワセになることも含め、何より周囲の人たちをシアワセに導く働きをすることが大義だ。

周囲がシアワセでなければ、自分のシアワセはあり得ないということを念頭に置けば、自然と周囲が助かるように動けるのではないだろうか?

なぜ周囲のために自分が働かなくてはならないの?と思うのであれば、一生自分にシアワセは巡って来ない。

「他人がシアワセであれば」「自分もシアワセなのだ」と思えると、人生が明るく華やいだものになっていく。それが徳を積むということだ。

enji_152 at 12:41│Comments(0)今世 | 人の道

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