未来へ
2023年11月09日
悪意なんて吹き飛ばせ!!
「TOBEに入ると老ける?」元V6三宅、元キスマイ北山の顔に違和感を覚える“芸能界的”根拠を読んだ。
この記事に限らず、時々相手方を貶めるような悪意を感じる記事を目にすることがある。
それは忖度あってのことで、悪意を持つ側に肩入れする者の仕業であろうと想像する。
記事だけを読むと、旬を過ぎた30代~40代のアイドルが事務所を移籍したものの、昔のような輝きはない、とあるが、そもそもこの年齢で輝きを放つアイドルというのに無理がある。
最近のアイドルはデビュー自体も遅いから、世間の認知度が高まる頃には30歳を過ぎているなんてざらだ。
本当の意味でアイドルの旬を過ぎた者であれば、事務所を変わろうが変わるまいが、老いには勝てないわけで、同じ事務所にずっといるアイドルでさえ、昔のようなはじける若さ、ピチピチ感はないのが普通だ。
それをさも移籍したから輝きを失ったなどと愚の骨頂のような記事を書くのって…。
文面だけを正直に受け止める者が読んだら、そうとしか思わないわけで、それが狙いではあるのだろうが、あまりにも稚拙な攻撃だ。
どんなに売れたアイドルでも平等に歳を取っていく。それは抗えない現実だ。
そこからどう次のステップに進むのかは、事務所移籍に関係なく、その人自身の問題だ。
これまで培ったスキルと、これから先もたゆまぬ努力を重ねていく者だけが真に輝きを放てる、永遠のアイドルになっていくのだ。
この記事に限らず、時々相手方を貶めるような悪意を感じる記事を目にすることがある。
それは忖度あってのことで、悪意を持つ側に肩入れする者の仕業であろうと想像する。
記事だけを読むと、旬を過ぎた30代~40代のアイドルが事務所を移籍したものの、昔のような輝きはない、とあるが、そもそもこの年齢で輝きを放つアイドルというのに無理がある。
最近のアイドルはデビュー自体も遅いから、世間の認知度が高まる頃には30歳を過ぎているなんてざらだ。
本当の意味でアイドルの旬を過ぎた者であれば、事務所を変わろうが変わるまいが、老いには勝てないわけで、同じ事務所にずっといるアイドルでさえ、昔のようなはじける若さ、ピチピチ感はないのが普通だ。
それをさも移籍したから輝きを失ったなどと愚の骨頂のような記事を書くのって…。
文面だけを正直に受け止める者が読んだら、そうとしか思わないわけで、それが狙いではあるのだろうが、あまりにも稚拙な攻撃だ。
どんなに売れたアイドルでも平等に歳を取っていく。それは抗えない現実だ。
そこからどう次のステップに進むのかは、事務所移籍に関係なく、その人自身の問題だ。
これまで培ったスキルと、これから先もたゆまぬ努力を重ねていく者だけが真に輝きを放てる、永遠のアイドルになっていくのだ。
enji_152 at 07:56|Permalink│Comments(0)
2023年10月24日
カジュアル思考
朝の通勤時は女性専用車両に乗ることにしている。
他車両は混んでいるし、タバコや二日酔いの人が放つ異臭や加齢臭が気になるが、女性専用車両は臭くないから安心して乗車していられる。
女性ばかりの車両というのも一見すると奇妙な光景ではあるものの、ボーっとその光景を眺めていて気付いたことがある。
服の色が黒、グレーがほとんど、ということ。たまに白とか紺やベージュも目にするが、まるで皆で示し合わせたかのように、黒、グレー軍団だらけで驚いた。
形状はスーツだったり、ジャケットだったり…と様々だが、まるで保護色と見まごうばかりだ。
靴といえば、7割方がスニーカーだ。今やパンプスや高いヒールを履いて通勤する人は減ったようだ。
スニーカーのほうが足にも良いし、歩き安い。確かに、職場でもスニーカー履いてる人多いな、と思ってはいたが…。
周囲から浮かない落ち着いた色の服を着て、スニーカーを履いて通勤する。これが今のスタンダードなのか…と。仕事はオシャレし過ぎず、カジュアルに…といった感じだ。
これもある種の進化なのかも?と、妄想を張り巡らせる朝の通勤電車での出来事だった。
他車両は混んでいるし、タバコや二日酔いの人が放つ異臭や加齢臭が気になるが、女性専用車両は臭くないから安心して乗車していられる。
女性ばかりの車両というのも一見すると奇妙な光景ではあるものの、ボーっとその光景を眺めていて気付いたことがある。
服の色が黒、グレーがほとんど、ということ。たまに白とか紺やベージュも目にするが、まるで皆で示し合わせたかのように、黒、グレー軍団だらけで驚いた。
形状はスーツだったり、ジャケットだったり…と様々だが、まるで保護色と見まごうばかりだ。
靴といえば、7割方がスニーカーだ。今やパンプスや高いヒールを履いて通勤する人は減ったようだ。
スニーカーのほうが足にも良いし、歩き安い。確かに、職場でもスニーカー履いてる人多いな、と思ってはいたが…。
周囲から浮かない落ち着いた色の服を着て、スニーカーを履いて通勤する。これが今のスタンダードなのか…と。仕事はオシャレし過ぎず、カジュアルに…といった感じだ。
これもある種の進化なのかも?と、妄想を張り巡らせる朝の通勤電車での出来事だった。
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2023年10月22日
ケチの先にあるもの
【ケチは褒め言葉?】樹木希林さんも実践した「ケチ道」の美学 上手に節約して自分も他人も幸せになるのが理想を読んだ。
ケチと言うとマイナスなイメージが湧くが、倹約と聞くと、無駄遣いをせず必要なことにお金を使う、といった感じがする。
とはいえ、それも簡単に言えばケチなのだが、ケチといっても、他人に奢らせたり、割り勘を出し渋ったりといった明らかにせこいケチとは違う。
そういう意味では私もケチだ。10円、20円の違いでも安いスーパーに行くし、使えるものは徹底的に使い倒す。記事にあるようにスーパーでもらった袋なども、有効活用しまくりだ。
一見すると、数円といった単位でのケチケチ生活ではあるものの、それもチリツモで、案外あなどれない。
ポイ活も意識してやってはいないが、ポイントもターゲットを絞って貯めている。
今は店ごとにポイントカードがあるが、それらも最近は連携していて、他のポイントに変えたりすることも出来るため、コスパ良く、自分にとって有益なポイントに定期的に交換している。
そのおかげで、気付くと結構なポイントになっており、無意識のうちに貯まっていることに気付き喜んでいる。
節約、倹約も意識し過ぎるとギスギスしてしまいがちだが、自然にそれが出来れば無理がない。
生活していれば、冠婚葬祭や旅行といった、定期的な行事に散在することがある。
そういう時は日頃のケチぶりから解放され、必要な分をパ~~っと!と言っても、たいした額ではないが、私にしてみれば、普段からは考えられない行動をすることがある。
お金は貯めておいた方が気持ち的には安心ではあるものの、必要な時、必要な事柄に使うことで、未来が豊かになることに繋がるので、先々を見据えて、使う時は使う!と決めている。
ケチも使い方次第!ということだろう。
ケチと言うとマイナスなイメージが湧くが、倹約と聞くと、無駄遣いをせず必要なことにお金を使う、といった感じがする。
とはいえ、それも簡単に言えばケチなのだが、ケチといっても、他人に奢らせたり、割り勘を出し渋ったりといった明らかにせこいケチとは違う。
そういう意味では私もケチだ。10円、20円の違いでも安いスーパーに行くし、使えるものは徹底的に使い倒す。記事にあるようにスーパーでもらった袋なども、有効活用しまくりだ。
一見すると、数円といった単位でのケチケチ生活ではあるものの、それもチリツモで、案外あなどれない。
ポイ活も意識してやってはいないが、ポイントもターゲットを絞って貯めている。
今は店ごとにポイントカードがあるが、それらも最近は連携していて、他のポイントに変えたりすることも出来るため、コスパ良く、自分にとって有益なポイントに定期的に交換している。
そのおかげで、気付くと結構なポイントになっており、無意識のうちに貯まっていることに気付き喜んでいる。
節約、倹約も意識し過ぎるとギスギスしてしまいがちだが、自然にそれが出来れば無理がない。
生活していれば、冠婚葬祭や旅行といった、定期的な行事に散在することがある。
そういう時は日頃のケチぶりから解放され、必要な分をパ~~っと!と言っても、たいした額ではないが、私にしてみれば、普段からは考えられない行動をすることがある。
お金は貯めておいた方が気持ち的には安心ではあるものの、必要な時、必要な事柄に使うことで、未来が豊かになることに繋がるので、先々を見据えて、使う時は使う!と決めている。
ケチも使い方次第!ということだろう。
enji_152 at 17:42|Permalink│Comments(0)
2023年06月17日
渡されたバトン
健康に恵まれ、現代人の寿命は人類史上最大限まで伸びている。
明治以前は、この世に生を受けて10年も経てば一人前の大人とみなされ、早いものであれば10代のうちに結婚し、子孫を残してきた。
人の寿命が延びたことで、私達世代の親もまた長寿を生きている。
それはそれでありがたいことだが、いつまでも親がいるとそれに甘えてしまい、本当の意味での独り立ちが出来にくい社会となっているし、親もまた子離れ出来ないのも現実だ。
それが良いことかそうでないかは、もっと先にならないと判断つかないことではあるが、いつかは必ず先に生まれた者がこの世を去るようになっている。
コロナ以降、昭和生まれの著名人達が次々にこの世を去っている。それも自然の成り行きとはいえ、一抹の寂しさをふと感じることがある。
私も身近で親しい方が亡くなり、お世話になり続けた過去を思い返している。
思い出せば、あんなことや、こんなこと…と、キリがないほど多くの恩恵を受けていたのだなと、改めて思わされている。
その方が身体の自由が利かなくなり、言葉もうまく発せられないなかでも、私の手を握りしめ「お願いしますよ!」と懇願されたことは、私の心に強く残っている。その方との約束を果たすためにも、私は自分に課せられた事柄と真摯に向き合い、成し遂げないといけない!と。
長い年月をかけ、親や出会った多くの方々から様々なことを学び、それらを渡されていたのだな…と。
これから残りの人生、今度は私が先人にもらった多くの事柄を伝えていくことになる。
そうやって、命のバトンが引き継がれているのだなと実感している。
明治以前は、この世に生を受けて10年も経てば一人前の大人とみなされ、早いものであれば10代のうちに結婚し、子孫を残してきた。
人の寿命が延びたことで、私達世代の親もまた長寿を生きている。
それはそれでありがたいことだが、いつまでも親がいるとそれに甘えてしまい、本当の意味での独り立ちが出来にくい社会となっているし、親もまた子離れ出来ないのも現実だ。
それが良いことかそうでないかは、もっと先にならないと判断つかないことではあるが、いつかは必ず先に生まれた者がこの世を去るようになっている。
コロナ以降、昭和生まれの著名人達が次々にこの世を去っている。それも自然の成り行きとはいえ、一抹の寂しさをふと感じることがある。
私も身近で親しい方が亡くなり、お世話になり続けた過去を思い返している。
思い出せば、あんなことや、こんなこと…と、キリがないほど多くの恩恵を受けていたのだなと、改めて思わされている。
その方が身体の自由が利かなくなり、言葉もうまく発せられないなかでも、私の手を握りしめ「お願いしますよ!」と懇願されたことは、私の心に強く残っている。その方との約束を果たすためにも、私は自分に課せられた事柄と真摯に向き合い、成し遂げないといけない!と。
長い年月をかけ、親や出会った多くの方々から様々なことを学び、それらを渡されていたのだな…と。
これから残りの人生、今度は私が先人にもらった多くの事柄を伝えていくことになる。
そうやって、命のバトンが引き継がれているのだなと実感している。
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2023年05月29日
ここにもジェンダーレス
最近気になっていることの一つに、NHKの「みんなの体操」がある。
数年前までは3人の女性インストラクターがレオタードに生足むき出しで体操をしていた。
こんな昭和な時代の恰好をさせられ、テレビに映るのって…。何だかかわいそうだな、と個人的に思っていた。
その後徐々にレオタード姿の頻度が減ってはいたが、それでも週に一度か二度はレオタードだった。
そのうち、ある時から1人男性が加わり、女性2人体制になった。
男性が体操に加わったこと自体画期的であり、NHKの体操では初!のことではないだろうか。
で、その時も男性はTシャツに短パン的な感じなのに、女性はまだレオタードを着せられていることがあった。これって、どう見ても性差別だよな~~と、個人的に感じていた。
最近、とうとう!というか、やっとこさ!!男性も女性もTシャツに短パン姿になった。
色も形も同じものを身に付け、体操をするインストラクターの方々!!
NHKにもやっと、ジェンダーレスの波がやってきたようだ。
今や学校でも女子生徒がスカートだけではなく、スボンを選択出来るようになってきた。
女子生徒がそうなら、男子生徒がスカートを履いたっていいじゃないか!と、個人的には思う。
男は男らしく、女は女らしくとは?
一人一人個性が違うのだから、ジェンダーレスな社会であるならば「私は私らしく」というのがピッタリな気がする。
数年前までは3人の女性インストラクターがレオタードに生足むき出しで体操をしていた。
こんな昭和な時代の恰好をさせられ、テレビに映るのって…。何だかかわいそうだな、と個人的に思っていた。
その後徐々にレオタード姿の頻度が減ってはいたが、それでも週に一度か二度はレオタードだった。
そのうち、ある時から1人男性が加わり、女性2人体制になった。
男性が体操に加わったこと自体画期的であり、NHKの体操では初!のことではないだろうか。
で、その時も男性はTシャツに短パン的な感じなのに、女性はまだレオタードを着せられていることがあった。これって、どう見ても性差別だよな~~と、個人的に感じていた。
最近、とうとう!というか、やっとこさ!!男性も女性もTシャツに短パン姿になった。
色も形も同じものを身に付け、体操をするインストラクターの方々!!
NHKにもやっと、ジェンダーレスの波がやってきたようだ。
今や学校でも女子生徒がスカートだけではなく、スボンを選択出来るようになってきた。
女子生徒がそうなら、男子生徒がスカートを履いたっていいじゃないか!と、個人的には思う。
男は男らしく、女は女らしくとは?
一人一人個性が違うのだから、ジェンダーレスな社会であるならば「私は私らしく」というのがピッタリな気がする。
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2023年05月21日
真の平和へと
広島で開催されているG7だが、今回ほど意義深いことはないように思う。
これまでも毎年7か国持ち回りで開催、世界平和のために、より良い未来のために多くの方が尽力していることは間違いないが、今回、世界できな臭さが増す中、唯一の原爆被爆国である広島で開催されたことは何かの導きのように思えてならない。
岸田家の故郷だからG7を広島でやりたい!と熱望したところで、それが実現することは容易ではないはずだ。
今回のG7ではアメリカのバイデン大統領の参加もぎりぎりまで不透明だったが、結果的にはG7全ての国家元首、欧州連合の委員長らが顔を揃え、平和記念資料館視察、原爆死没者慰霊碑献花を行ったことで、これまで原爆を落とされた国に対して、想像しか出来なかったことが、大きなリアルとなって胸に刻まれたのではないだろうか。
ここにウクライナのゼレンスキー大統領が来日したこともまた、私達が想像するより遥かにスゴイことが起きているとしか思えない。
G7各行事、ゼレンスキー大統領来日も、既にお膳立てされているものかもしれないが、テロや攻撃、何がしかの災害が発生すれば、それらは全てキャンセルせざるを得なくなる。
一連の事柄が無事に成し得ていることは、まさに奇跡だ!!
どの国とて、自国の利益が一番であるのは当然のことだろうが、人間には叡智がある。それを生かした解決策が必ずあるはずだ。武力で問題を解決するのは簡単かもしれないが、それでは真の意味での平和へは辿り着けない。
世界には解決すべき問題が山積みだ。それらがどうか平和裡に解決していくことをひたすら願っている。
そしてG7に尽力くださっている全ての方々に御礼を申し上げたい!!!
これまでも毎年7か国持ち回りで開催、世界平和のために、より良い未来のために多くの方が尽力していることは間違いないが、今回、世界できな臭さが増す中、唯一の原爆被爆国である広島で開催されたことは何かの導きのように思えてならない。
岸田家の故郷だからG7を広島でやりたい!と熱望したところで、それが実現することは容易ではないはずだ。
今回のG7ではアメリカのバイデン大統領の参加もぎりぎりまで不透明だったが、結果的にはG7全ての国家元首、欧州連合の委員長らが顔を揃え、平和記念資料館視察、原爆死没者慰霊碑献花を行ったことで、これまで原爆を落とされた国に対して、想像しか出来なかったことが、大きなリアルとなって胸に刻まれたのではないだろうか。
ここにウクライナのゼレンスキー大統領が来日したこともまた、私達が想像するより遥かにスゴイことが起きているとしか思えない。
G7各行事、ゼレンスキー大統領来日も、既にお膳立てされているものかもしれないが、テロや攻撃、何がしかの災害が発生すれば、それらは全てキャンセルせざるを得なくなる。
一連の事柄が無事に成し得ていることは、まさに奇跡だ!!
どの国とて、自国の利益が一番であるのは当然のことだろうが、人間には叡智がある。それを生かした解決策が必ずあるはずだ。武力で問題を解決するのは簡単かもしれないが、それでは真の意味での平和へは辿り着けない。
世界には解決すべき問題が山積みだ。それらがどうか平和裡に解決していくことをひたすら願っている。
そしてG7に尽力くださっている全ての方々に御礼を申し上げたい!!!
enji_152 at 13:59|Permalink│Comments(0)
2023年05月04日
人間だからこそ
AIと共存するために「人間が優先的に磨いておくべき能力」とは? 違いを知れば見えてくる〈dot.〉を読んだ。
ChatGPTの登場で俄かに人間界もざわめいている。
私はまだ使ったことはないが、若者達には浸透している様子。何が便利なのかは使ってみないと分からないが、スマホに釘付けになるほど暇でもないので、つい後手に回っている。
私が子供の頃は全てがアナログだったから、ワープロが登場した時には、もう手書きで原稿や書類を書かなくても良いのだと感動したし、インターネットが繋がった時はまさに未知との遭遇だった。
当時のインターネット回線は電話回線を使っていたので、繋がるまでに数分かかるうえ、ホームページとて開くのに随分時間がかかったものだ。
あれから時は流れ、今や一人に一台以上スマホを持つ時代になったし、インターネットだって瞬時に繋がる。それだけでも数十年前からは想像もつかない未来だ。
AIの台頭で単純作業や総務関連の仕事をコンピューターがやるようになる未来はもう来ている。
私の勤める職場でも総務が無くなる方向であることを最近知った。
これまでは職場での年末調整は紙に必要事項を書いて提出していたが、それも数年前から直接国税庁のHPにログインして自身で申告するようにもなった。
こうやって、総務的仕事は個人レベルでこなしていき、総務で腕まくりをして仕事をする人材は不要となっていくのだろう。
それが良いか悪いかは分からないし、AIが台頭しようがしまいが、時代は常に変化し続けている。
文明開化以前の人が現代を見たら、腰を抜かすほど驚くだろう。
それと同様で、私達にも容赦ない進化の波は押し寄せてくるのだ。
とはいえ、どんなにAIが万能であったとしても、人間にしか出来ないことはたくさんある。
それを探し、自分の得意にしていくことこそが、未来を切り拓く鍵となるだろう。
何でもAI任せでボーっと生きていると、気付いたら世間から取り残されていた…なんてことにならないよう、自身を戒めていきたいと思っている。
ChatGPTの登場で俄かに人間界もざわめいている。
私はまだ使ったことはないが、若者達には浸透している様子。何が便利なのかは使ってみないと分からないが、スマホに釘付けになるほど暇でもないので、つい後手に回っている。
私が子供の頃は全てがアナログだったから、ワープロが登場した時には、もう手書きで原稿や書類を書かなくても良いのだと感動したし、インターネットが繋がった時はまさに未知との遭遇だった。
当時のインターネット回線は電話回線を使っていたので、繋がるまでに数分かかるうえ、ホームページとて開くのに随分時間がかかったものだ。
あれから時は流れ、今や一人に一台以上スマホを持つ時代になったし、インターネットだって瞬時に繋がる。それだけでも数十年前からは想像もつかない未来だ。
AIの台頭で単純作業や総務関連の仕事をコンピューターがやるようになる未来はもう来ている。
私の勤める職場でも総務が無くなる方向であることを最近知った。
これまでは職場での年末調整は紙に必要事項を書いて提出していたが、それも数年前から直接国税庁のHPにログインして自身で申告するようにもなった。
こうやって、総務的仕事は個人レベルでこなしていき、総務で腕まくりをして仕事をする人材は不要となっていくのだろう。
それが良いか悪いかは分からないし、AIが台頭しようがしまいが、時代は常に変化し続けている。
文明開化以前の人が現代を見たら、腰を抜かすほど驚くだろう。
それと同様で、私達にも容赦ない進化の波は押し寄せてくるのだ。
とはいえ、どんなにAIが万能であったとしても、人間にしか出来ないことはたくさんある。
それを探し、自分の得意にしていくことこそが、未来を切り拓く鍵となるだろう。
何でもAI任せでボーっと生きていると、気付いたら世間から取り残されていた…なんてことにならないよう、自身を戒めていきたいと思っている。
enji_152 at 14:10|Permalink│Comments(0)
2023年04月30日
道は選べる
新年度、環境の変化もあり、多忙な日々を過ごしているが、頭の痛い事態が同時期に二つもやって来た。
いずれも周囲の変化による事柄であり、私にとっては理不尽このうえないものだ。
社会通念、物事の道理から言えば、それらは道に外れており、物騒な言い方をすると、出るところに出れば間違いなく勝てる!事案だ。
物事の道理に照らし合わせて、遠山の金さんのように「一件落着!」と片付けば良いが、多くの人が関わる事柄であればあるほど、問題はそう簡単ではない。
自身にとって理不尽このうえなくても、時にはそれをグッと堪え、一時的に退避せざるを得ないこともある。
今回の事案はまさにそれなのだが、考え方次第によっては、未来において形勢逆転もありえるので、ここは目の前の事柄だけに振り回されるのではなく、長期計画でじっくり腰を据えるしかないな…と、良い意味で覚悟した。
どんなに上手く行ってるように見える事柄でも、思わぬところで足元をすくわれることだってある。
逆風であれば、後は立ち向かうしかないのだが、真正面から立ち向かっても疲れるだけなので、路線変更する手もあるな、と思いついた。
理不尽な逆風でさえも、最終的には面白がるしかないんだろうなと思ったら心が軽くなった。
重石のように心に鎮座していることに変わりはないが、これをどう軽石に変えていけるかは自分次第なのだ。
周囲を変えることは容易ではないというか、無理だ。ならば、自分が変わるしかない。
理不尽に対し迎合はしないが、道筋を変えていくことで未来を更により良いものにしていきたいと心に誓った。
いずれも周囲の変化による事柄であり、私にとっては理不尽このうえないものだ。
社会通念、物事の道理から言えば、それらは道に外れており、物騒な言い方をすると、出るところに出れば間違いなく勝てる!事案だ。
物事の道理に照らし合わせて、遠山の金さんのように「一件落着!」と片付けば良いが、多くの人が関わる事柄であればあるほど、問題はそう簡単ではない。
自身にとって理不尽このうえなくても、時にはそれをグッと堪え、一時的に退避せざるを得ないこともある。
今回の事案はまさにそれなのだが、考え方次第によっては、未来において形勢逆転もありえるので、ここは目の前の事柄だけに振り回されるのではなく、長期計画でじっくり腰を据えるしかないな…と、良い意味で覚悟した。
どんなに上手く行ってるように見える事柄でも、思わぬところで足元をすくわれることだってある。
逆風であれば、後は立ち向かうしかないのだが、真正面から立ち向かっても疲れるだけなので、路線変更する手もあるな、と思いついた。
理不尽な逆風でさえも、最終的には面白がるしかないんだろうなと思ったら心が軽くなった。
重石のように心に鎮座していることに変わりはないが、これをどう軽石に変えていけるかは自分次第なのだ。
周囲を変えることは容易ではないというか、無理だ。ならば、自分が変わるしかない。
理不尽に対し迎合はしないが、道筋を変えていくことで未来を更により良いものにしていきたいと心に誓った。
enji_152 at 20:15|Permalink│Comments(0)
2023年02月12日
遠い身内より近所の他人
人口カバー率、6割超え「パートナー制度」導入自治体 同性婚、国の議論に期待もを読んだ。
古来日本では、血の繋がりのある者との絆は無敵のように言われていたからこそ、育児も介護も家族で担うのが普通だった。
時は流れ現代において、その有様は大きく変化し、育児も介護も周囲や行政の協力なくしては成り立たないようになっている。
中でも婚姻においての概念も、男女のそれは性差のないものが少しずつ増えているし、実子でなくとも養子を迎え、子を育む者もいる。
どんなに愛し合って結婚しても、一生添い遂げるなどということにそもそも無理があるのだ。
最初は同じ価値観でも、年月と共に双方の考え方に差が生じるのは当然だし、最初は少しの溝であったものが、どんどん広がっていって修復不可能になるのも必然だろう。
それを子供のためだからとか、経済的なためとか、高齢になった時の年金のためとか、多すぎる足かせを自分に課して、耐え続けている家族も多くいるのではないだろうか。
兄弟姉妹だってそれぞれが独立した家庭を持てば赤の他人状態になることは良くあることだ。
どんなに仲の良い兄弟姉妹でも、それを持続させるのは至難の業だろう。
身内でなければ手の出せない行政手続きなどが多すぎて、他人にそれを頼むこともままならない現代。
同じ屋根の下に住んでいても、家族に関心のない家庭だってある。
それならば、真に自分のことを思い、何かの時には助けてくれる人と、程よい距離感で家族のような暮らしをすることのほうが、精神的にも健全ではないかと思う。
家族を当てにするのもおかしい話ではあるが、そもそも良い意味で当てにならない家族より、身近な他人とのほうが、案外社会はうまく回っていくのではないだろうか。
古来日本では、血の繋がりのある者との絆は無敵のように言われていたからこそ、育児も介護も家族で担うのが普通だった。
時は流れ現代において、その有様は大きく変化し、育児も介護も周囲や行政の協力なくしては成り立たないようになっている。
中でも婚姻においての概念も、男女のそれは性差のないものが少しずつ増えているし、実子でなくとも養子を迎え、子を育む者もいる。
どんなに愛し合って結婚しても、一生添い遂げるなどということにそもそも無理があるのだ。
最初は同じ価値観でも、年月と共に双方の考え方に差が生じるのは当然だし、最初は少しの溝であったものが、どんどん広がっていって修復不可能になるのも必然だろう。
それを子供のためだからとか、経済的なためとか、高齢になった時の年金のためとか、多すぎる足かせを自分に課して、耐え続けている家族も多くいるのではないだろうか。
兄弟姉妹だってそれぞれが独立した家庭を持てば赤の他人状態になることは良くあることだ。
どんなに仲の良い兄弟姉妹でも、それを持続させるのは至難の業だろう。
身内でなければ手の出せない行政手続きなどが多すぎて、他人にそれを頼むこともままならない現代。
同じ屋根の下に住んでいても、家族に関心のない家庭だってある。
それならば、真に自分のことを思い、何かの時には助けてくれる人と、程よい距離感で家族のような暮らしをすることのほうが、精神的にも健全ではないかと思う。
家族を当てにするのもおかしい話ではあるが、そもそも良い意味で当てにならない家族より、身近な他人とのほうが、案外社会はうまく回っていくのではないだろうか。
enji_152 at 12:37|Permalink│Comments(0)
2023年01月15日
まだまだこれから
昨日の「ニュースな会」で、中居くんの元気な姿を見ることが出来た。
昨年秋の激やせぶりから様々な憶測が飛んだし、素人目に見ても最悪の事態を想定する状態であることは明白だった。
本当の病状は本人と限られた人にしか分からないことだが、あの形相からよくぞここまで快復したと安堵した。とはいえ、まだまだ病み上がりの身だろうから、くれぐれも無理はして欲しくないと心から思う。
1月に始まったTBS日曜劇場では、ブラックジャックっぽい話のドラマが放送されているが、その中で「命を長らえさせるのに価値がある人間なのかどうか?」というのがテーマになっているようだ。
ドラマとはいえ違法な医療行為で以て、助からない命を助けるに当たり、その人が真に世の中のためになる人間なのか?が問われている。
世界では金にモノを言わせて、他人の臓器を奪ってでも長生きをしようとする強欲な人間もいる。
全ての臓器移植患者が強欲とは言わないが、天から授かった自身の肉体である臓器の寿命が尽きるのであれば、それも自身の運命と受け入れるしかないと思うのだが、それを捻じ曲げてでも生きようとする意欲というか、信念には感服する。
幼い子供であったり、未来を嘱望される者であれば、それもありかもしれないが、それとて本来ならば天寿である…なまじ医療が発達したおかげで、禁忌を冒しているように感じるのは私だけだろうか…。
といって、それを非難するつもりはない。最終的な判断は自身が下せば良いのだから…。
中居くんが元気に復活したことで、多くの人達が喜んでいることは容易に想像がつく。
これまでの彼の功績を思えば誰もがそう願うだろうし、まだまだ若いのだから、これからも多くの人達をシアワセに導いて欲しいと願っている。
それだけ、彼は生きるに値する人間なのだから。
昨年秋の激やせぶりから様々な憶測が飛んだし、素人目に見ても最悪の事態を想定する状態であることは明白だった。
本当の病状は本人と限られた人にしか分からないことだが、あの形相からよくぞここまで快復したと安堵した。とはいえ、まだまだ病み上がりの身だろうから、くれぐれも無理はして欲しくないと心から思う。
1月に始まったTBS日曜劇場では、ブラックジャックっぽい話のドラマが放送されているが、その中で「命を長らえさせるのに価値がある人間なのかどうか?」というのがテーマになっているようだ。
ドラマとはいえ違法な医療行為で以て、助からない命を助けるに当たり、その人が真に世の中のためになる人間なのか?が問われている。
世界では金にモノを言わせて、他人の臓器を奪ってでも長生きをしようとする強欲な人間もいる。
全ての臓器移植患者が強欲とは言わないが、天から授かった自身の肉体である臓器の寿命が尽きるのであれば、それも自身の運命と受け入れるしかないと思うのだが、それを捻じ曲げてでも生きようとする意欲というか、信念には感服する。
幼い子供であったり、未来を嘱望される者であれば、それもありかもしれないが、それとて本来ならば天寿である…なまじ医療が発達したおかげで、禁忌を冒しているように感じるのは私だけだろうか…。
といって、それを非難するつもりはない。最終的な判断は自身が下せば良いのだから…。
中居くんが元気に復活したことで、多くの人達が喜んでいることは容易に想像がつく。
これまでの彼の功績を思えば誰もがそう願うだろうし、まだまだ若いのだから、これからも多くの人達をシアワセに導いて欲しいと願っている。
それだけ、彼は生きるに値する人間なのだから。
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2022年12月31日
意味することは…
『私が見た未来』作者が明かした、東日本大震災を“予知”するまで「轟音とともに津波が迫り、逃げ惑う人々の中で…」を読んだ日に…。
12月28日(水)の昼休みに、何気に文春のHPを見る気になった。
いつもならYahooなどの記事からそれに遷移することはあるものの、ダイレクトに文春HPが気になったのは初めてのことだ。
すると、そこには上記リンクのたつき諒さんのインタビュー記事が掲載されていた。
『私が見た未来 完全版』(1999年に出版されたものの復刻版)は昨年出版された時に購入しており、あれから1年以上が経っている。なぜこのタイミングで文春HPにインタビュー記事が掲載されたのだろう。
たつきさんの予言は先の東日本大震災の日付を夢で見たことから話題になっており、次の大災難は2025年7月に琉球列島とフィリピン海域の間で大噴火等の影響で大津波が起きるとのことらしい。
この記事を読んだ晩、テレビ番組でたつきさんご本人が出演されており、他にも見たという夢の検証をするという放送を観た。
まさかご本人(顔はぼかしていた)がテレビに出られるとは…。
そうなるにはなるなりの経緯があることなので、それについてはどうこう思っていないが、私が不思議に感じたのは、この日に限ってなぜ文春HPを開く気になったのか?また、その日の夜に点けたテレビにたつきさんが出演されていて、二度ビックリ!!な事態に陥ったことだ。
改めて『私が見た未来 完全版』を読み返した。
私達は地球の生物の一部であり、大自然の働き無くしては一日足りとも生きてはいられない。
例えたつきさんの予言通りに、2025年7月に大災難が起きたとしても、それも自然の営みの一部なのだから、文句も言えないし、それで命を落とすことがあっても、まさに仕方のないことなのだ。
とはいえ、たつきさんの予言が本当に起こる前提ならば、今から防災に努めることは出来る。
被害を最小限度に抑えることも出来るかもしれない。
この本を読めば、被害は日本だけのことではなく、世界中に甚大な影響を及ぼすことも分かる。
たまたまなのか?必然なのか?私が同日に二度もたつきさんのメッセージに出会うことになったことは、何かの意味があるのだろうか…。
2022年の最後に怖いことを書くようで申し訳ないが、これを怖いと捉えるのか?未来をどうしたら良い方向へ変えていけるのか?それを考え行動することが、一人一人にかかっているのではないか…と思っている。
-------------------------
2022年も当ブログをご愛顧いただきまして、ありがとうございました。
2023年が貴方様にとって佳き年となりますよう、お祈り申し上げます。
12月28日(水)の昼休みに、何気に文春のHPを見る気になった。
いつもならYahooなどの記事からそれに遷移することはあるものの、ダイレクトに文春HPが気になったのは初めてのことだ。
すると、そこには上記リンクのたつき諒さんのインタビュー記事が掲載されていた。
『私が見た未来 完全版』(1999年に出版されたものの復刻版)は昨年出版された時に購入しており、あれから1年以上が経っている。なぜこのタイミングで文春HPにインタビュー記事が掲載されたのだろう。
たつきさんの予言は先の東日本大震災の日付を夢で見たことから話題になっており、次の大災難は2025年7月に琉球列島とフィリピン海域の間で大噴火等の影響で大津波が起きるとのことらしい。
この記事を読んだ晩、テレビ番組でたつきさんご本人が出演されており、他にも見たという夢の検証をするという放送を観た。
まさかご本人(顔はぼかしていた)がテレビに出られるとは…。
そうなるにはなるなりの経緯があることなので、それについてはどうこう思っていないが、私が不思議に感じたのは、この日に限ってなぜ文春HPを開く気になったのか?また、その日の夜に点けたテレビにたつきさんが出演されていて、二度ビックリ!!な事態に陥ったことだ。
改めて『私が見た未来 完全版』を読み返した。
私達は地球の生物の一部であり、大自然の働き無くしては一日足りとも生きてはいられない。
例えたつきさんの予言通りに、2025年7月に大災難が起きたとしても、それも自然の営みの一部なのだから、文句も言えないし、それで命を落とすことがあっても、まさに仕方のないことなのだ。
とはいえ、たつきさんの予言が本当に起こる前提ならば、今から防災に努めることは出来る。
被害を最小限度に抑えることも出来るかもしれない。
この本を読めば、被害は日本だけのことではなく、世界中に甚大な影響を及ぼすことも分かる。
たまたまなのか?必然なのか?私が同日に二度もたつきさんのメッセージに出会うことになったことは、何かの意味があるのだろうか…。
2022年の最後に怖いことを書くようで申し訳ないが、これを怖いと捉えるのか?未来をどうしたら良い方向へ変えていけるのか?それを考え行動することが、一人一人にかかっているのではないか…と思っている。
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2022年も当ブログをご愛顧いただきまして、ありがとうございました。
2023年が貴方様にとって佳き年となりますよう、お祈り申し上げます。
enji_152 at 13:02|Permalink│Comments(0)
2022年12月24日
あっという間の師走
先週まで一年総決算?体調不良が続いていたが、おかげさまで快復し、また忙しくしている。
気付けばブログも随分書いていないことにも驚いているこの頃。
師走はいつも以上に時間が早く過ぎているように感じるのは私だけだろうか。
もう来週は仕事納めとなる。あと3日働けば正月休みだ!と己を鼓舞しつつ、何とか今年も無事に働けたことに感謝しつつ、来年に仕事を残さないよう努めている。
先週くらいから日本列島は大寒波に覆われており、首都圏以外のほとんどで雪に見舞われている。
北海道、東北などは大雪、本州の日本海側も相当な積雪だし、太平洋側も例年より早く降雪に見舞われている。
雪国であってもこれほどの降雪はあまりないというインタビューを聞くと、気の毒に思えてくるし、それでも日常生活を営まざるを得ないのだから、ただただ頭が下がるばかりだ。
この寒さで大停電に見舞われている地区の方のことも気がかりだし、その寒さは想像以上だろうと思う。
東京でも冷蔵庫級の寒さなのだから、降雪に見舞われている地域はさぞや辛かろうと…。
今年もあと少しですが、皆様身体を冷やさないように、くれぐれもご自愛ください。
気付けばブログも随分書いていないことにも驚いているこの頃。
師走はいつも以上に時間が早く過ぎているように感じるのは私だけだろうか。
もう来週は仕事納めとなる。あと3日働けば正月休みだ!と己を鼓舞しつつ、何とか今年も無事に働けたことに感謝しつつ、来年に仕事を残さないよう努めている。
先週くらいから日本列島は大寒波に覆われており、首都圏以外のほとんどで雪に見舞われている。
北海道、東北などは大雪、本州の日本海側も相当な積雪だし、太平洋側も例年より早く降雪に見舞われている。
雪国であってもこれほどの降雪はあまりないというインタビューを聞くと、気の毒に思えてくるし、それでも日常生活を営まざるを得ないのだから、ただただ頭が下がるばかりだ。
この寒さで大停電に見舞われている地区の方のことも気がかりだし、その寒さは想像以上だろうと思う。
東京でも冷蔵庫級の寒さなのだから、降雪に見舞われている地域はさぞや辛かろうと…。
今年もあと少しですが、皆様身体を冷やさないように、くれぐれもご自愛ください。
enji_152 at 16:36|Permalink│Comments(0)
2022年11月03日
世界の未来は
今朝は東北地方にJアラートが発令され、テレビ各局はすべてこれらの放送になっていた。
伝えられる情報は限定的かつアバウトなものであり、ミサイルが発射されて数十分経っている状況では、既に時遅し…といった感もある。
ミサイルが発射され到達する時間なんてほんの数分だろうから、放送される頃には既にミサイルはどこぞに着地しているか、失敗して空中分解していると想像される。
ロシアによるウクライナ侵攻だけでも世界は戦々恐々としているのに、中国、北朝鮮の強気の姿勢には肝が冷える。
誰も戦争なんて望んでいないのに、独裁国家元首の鶴の一声で多くの国民が犠牲となっているのが現実だ。
アメリカはウクライナ、中国対策で手いっぱいで、カマッテもらえず無鉄砲にミサイルをぶっ放すかの国のことなど眼中にない、というのが本音だろう。
とはいえ、かまってちゃん国の自暴自棄を侮っていると、取り返しのつかないことにもなりかねない。
世界情勢が日々きな臭さを増すなか、私達一国民に何が出来るのだろう?
同じ過ちを繰り返さないこと、それが一番だが…悲しいかな、人間は同じ過ちを繰り返す生き物だ。
伝えられる情報は限定的かつアバウトなものであり、ミサイルが発射されて数十分経っている状況では、既に時遅し…といった感もある。
ミサイルが発射され到達する時間なんてほんの数分だろうから、放送される頃には既にミサイルはどこぞに着地しているか、失敗して空中分解していると想像される。
ロシアによるウクライナ侵攻だけでも世界は戦々恐々としているのに、中国、北朝鮮の強気の姿勢には肝が冷える。
誰も戦争なんて望んでいないのに、独裁国家元首の鶴の一声で多くの国民が犠牲となっているのが現実だ。
アメリカはウクライナ、中国対策で手いっぱいで、カマッテもらえず無鉄砲にミサイルをぶっ放すかの国のことなど眼中にない、というのが本音だろう。
とはいえ、かまってちゃん国の自暴自棄を侮っていると、取り返しのつかないことにもなりかねない。
世界情勢が日々きな臭さを増すなか、私達一国民に何が出来るのだろう?
同じ過ちを繰り返さないこと、それが一番だが…悲しいかな、人間は同じ過ちを繰り返す生き物だ。
enji_152 at 14:32|Permalink│Comments(0)
2022年08月31日
夏の終わりに
とある庭園のベンチの下で、ひっくり返っているセミを見つけた。
周囲にある枯れ葉でセミを起こしてみた。すると、何と!そのセミはまだ生きていて、ゆっくり歩き始めたではないか!
地上に出て1週間、懸命に生き通し、最期の時に木から落ちて仰向けになってしまい、自力では起き上がれなかったのだろう。だが、地面に足が着いた瞬間、動き、何とか前へ進もうと、最後の力を振り絞っているように見えた。
生きとし生ける全ての生物は、その寿命を全うすることだけに注力している。
セミは長い年月土の中にいるが、地上に出たらたったの1週間しか生きられない。それでもセミの役割を果たし、子孫を残して朽ちていくのだ。
何て尊いのだろうと、その姿を見て思わされた。
人間はそれに比べたら生存年月も長いから比較にはならないかもしれないが、生きるという意味においての根本的な事柄は、他の生物と何ら変わらないのではないか、とも思った。
寿命が尽きるまで必死に生きる!!それが、命を与えられたものの役目なのだ。
そして、その命は次の命へと受け継がれていく。
周囲にある枯れ葉でセミを起こしてみた。すると、何と!そのセミはまだ生きていて、ゆっくり歩き始めたではないか!
地上に出て1週間、懸命に生き通し、最期の時に木から落ちて仰向けになってしまい、自力では起き上がれなかったのだろう。だが、地面に足が着いた瞬間、動き、何とか前へ進もうと、最後の力を振り絞っているように見えた。
生きとし生ける全ての生物は、その寿命を全うすることだけに注力している。
セミは長い年月土の中にいるが、地上に出たらたったの1週間しか生きられない。それでもセミの役割を果たし、子孫を残して朽ちていくのだ。
何て尊いのだろうと、その姿を見て思わされた。
人間はそれに比べたら生存年月も長いから比較にはならないかもしれないが、生きるという意味においての根本的な事柄は、他の生物と何ら変わらないのではないか、とも思った。
寿命が尽きるまで必死に生きる!!それが、命を与えられたものの役目なのだ。
そして、その命は次の命へと受け継がれていく。
enji_152 at 12:15|Permalink│Comments(0)
2022年08月28日
自由研究の思い出
子供達の夏休みに宿題は付き物で、最も頭を悩ますのは「自由研究」ではないだろうか。
とはいえ、昨今では企業の工場見学やら水族館のバックヤード見学やらと、昔では立入禁止エリアだった場所を解放し、子供達に興味を持ってもらおうという企画が多くあるし、インターネットを使っての調べ者も簡単に出来るようになっている。
先日報道番組で観たのが、自分の家の近所に生息している植物をアプリのカメラにかざすと、すぐに名前やその詳細を表示してくれる、というものがあった。そのアプリを使えば、散歩感覚で近所を散策しながら植物の知識までゲット出来るうえ、それが自由研究にも繋がるのだから、今時はスゴイな~と感心した。
私が子供の頃の自由研究は何を提出するのか全くもって検討もつかず、毎年トンチンカンなものばかり提出していたが、小学校5年か6年生の頃だったろうか、父が近所の田んぼの水路で白いおたまじゃくしを見つけ、それを持ち帰り毎日観察することにし、自由研究のテーマにして提出した。
白いおたまじゃくしは、今で言うところのアルビノだ。
体全体は白く透き通っていて、内臓も透けて見えるし、目は赤かった。
バケツに水を張り、そこにおたまじゃくしと水草を入れて毎日観察し、おたまじゃくしからカエルになるまでを日記にまとめた。おたまじゃくしから手や足が生え、あとは尻尾が無くなるところまできたが、その頃おたまじゃくしは死んでしまった。
ずっとバケツに入れていたのが悪かったのだろう。子供の浅智恵で飼育していたことで、カエルになる前に死なせてしまって、それは結構ショックだった。
とはいえ、白いおたまじゃくしはその当時は珍しく、地元の新聞にも載ったし、研究成果は長い巻物にして提出したのだが、それが市のコンクールで最高賞を取ってしまい、博物館に1カ月間観察巻物が展示された。
小学生時代の最も輝かしい歴史といって良いだろう。とはいえ、子供の観察日記なので、結構いい加減だ。こんなんで多くの人達から賛辞され、人生こんなんで良いんだろうか?と思ったものだ。
いずれにしても、自由研究なるものが現代にも続いていることは良いことなのだろう。
思わぬところで自分の可能性を見つけるヒントになるかもしれないし、それが自分の未来を大きく左右することに繋がることだってないとは言えないだろう。
とはいえ、昨今では企業の工場見学やら水族館のバックヤード見学やらと、昔では立入禁止エリアだった場所を解放し、子供達に興味を持ってもらおうという企画が多くあるし、インターネットを使っての調べ者も簡単に出来るようになっている。
先日報道番組で観たのが、自分の家の近所に生息している植物をアプリのカメラにかざすと、すぐに名前やその詳細を表示してくれる、というものがあった。そのアプリを使えば、散歩感覚で近所を散策しながら植物の知識までゲット出来るうえ、それが自由研究にも繋がるのだから、今時はスゴイな~と感心した。
私が子供の頃の自由研究は何を提出するのか全くもって検討もつかず、毎年トンチンカンなものばかり提出していたが、小学校5年か6年生の頃だったろうか、父が近所の田んぼの水路で白いおたまじゃくしを見つけ、それを持ち帰り毎日観察することにし、自由研究のテーマにして提出した。
白いおたまじゃくしは、今で言うところのアルビノだ。
体全体は白く透き通っていて、内臓も透けて見えるし、目は赤かった。
バケツに水を張り、そこにおたまじゃくしと水草を入れて毎日観察し、おたまじゃくしからカエルになるまでを日記にまとめた。おたまじゃくしから手や足が生え、あとは尻尾が無くなるところまできたが、その頃おたまじゃくしは死んでしまった。
ずっとバケツに入れていたのが悪かったのだろう。子供の浅智恵で飼育していたことで、カエルになる前に死なせてしまって、それは結構ショックだった。
とはいえ、白いおたまじゃくしはその当時は珍しく、地元の新聞にも載ったし、研究成果は長い巻物にして提出したのだが、それが市のコンクールで最高賞を取ってしまい、博物館に1カ月間観察巻物が展示された。
小学生時代の最も輝かしい歴史といって良いだろう。とはいえ、子供の観察日記なので、結構いい加減だ。こんなんで多くの人達から賛辞され、人生こんなんで良いんだろうか?と思ったものだ。
いずれにしても、自由研究なるものが現代にも続いていることは良いことなのだろう。
思わぬところで自分の可能性を見つけるヒントになるかもしれないし、それが自分の未来を大きく左右することに繋がることだってないとは言えないだろう。
enji_152 at 17:02|Permalink│Comments(0)