どう受け止めるか

2024年03月02日

侮るなかれ

『育休5ヶ月目』に突入した夫が語る、“リアルな声”に「取ってよかった」を読んだ。

昭和までは、家事、育児は女がするものという、暗黙の了解がまかり通っていたが、令和でそんなことを言ったら、間違いなく一発アウト!だ。

男性も家事、育児に参加してみると、思っていたのとは違う世界が開けてくることは往々にしてあるだろう。
男性がそれらをやりたがらないのは、その面白さを知らないからであり、楽しいこと、学びのあることと分かれば、率先してやるはずだ。

記事にあるように、育休を取ってみたら、家族のためであると思っていたことが、実は自分のためになっており、これまでの人生を振り返り、これからの未来を考える良い時間になっている、という気付きは、素晴らしいことだと思う。

男性脳は一つのことしか処理出来ないシステムなので、仕事しながら赤ん坊の世話をしながら、掃除、洗濯に追われる女性がこなすマルチタスクは無理かもしれないが、それとて訓練でやっていけると思うし、事実、それをこなしている男性も多くいる。

仕事だけしているほうが楽だが、これまで経験したことのない、家事、育児の世界に恐れをなし、新しいことにチャレンジする機会を失うなんてもったいないことだ。

食わず嫌いをせず、未知の世界へ飛び込んでみたら、想像以上の収穫は必ずある。
家族のためでもあり、自分のためにもなる家事、育児。侮ってはいけない。


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2024年02月29日

不確かな現実

給食の『うずらの卵』を食べて…小1が死亡に衝撃 こども家庭庁は「給食使用避ける食材」もネットでは「そのうち食べられるものが…」を読んだ。

給食で食べたうずらの卵が喉に詰まって窒息死とは…。気の毒なことだ。

小1だと咀嚼力も弱かったり、歯の生え変わりの時期に当たる子もいるので、噛むつもりが、ツルっと喉に入ってしまった、ということもあるかもしれない。

うずらの卵を給食に使用しなければそれで解決かと言えばそうでもない気がする。
他の食材とて、どんなに小さく刻んでいても、むせる時はむせるし、詰まる時は詰まるものだ。

その場にいた担任教師も吐き出させるべく、適正な対応をしたとニュースでも報道していたが、医師でもない限り、それ以上の対応は出来ないのが現実だ。

この件に限らず、アレルギー対策をしている給食もあると聞く。
人それぞれ食べられるもの、そうでないものがあるので、安い給食費でそれらすべてのリクエストを賄うには限界があるのではないだろうか?

給食に限らず、日常生活の中では不慮の事故、事件は起きるものだ。
そこで不運にも命を落としてしまうこともある。
それが私達が生きる現実なのだ。

日々何事もなく無事に過ごせていることが奇跡であること、つつがない日常がどれほどありがたいことかを、改めて考えてみてはどうだろう。

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2024年02月27日

案ずるよりも産むが易し

子育てをしたくない若者が急増中! 複雑に絡むネガティブ原因を考察を読んだ。

記事にあるように、今はネットで調べれば大抵のことが分かってしまうから、ネガティブな情報にひるんでしまうことはあるだろう。

昔は子供を持ったらどうなるかなんて、調べる術もないし、せいぜい親や周囲の大人に聞くくらいしかなかった。今と違って娯楽の選択肢も限られていたので、家族揃ってデパートのレストランで御飯を食べるくらいが贅沢なひと時だったが、今やそれも数が多すぎて、何をどう楽しめば良いかと頭を悩ませる者もいるだろう。

家族の人数や選択肢が多ければ多いほど、その意見をまとめるのも一苦労だし、やっと皆の意見が一致したとしても、当日誰かが具合が悪くなることもある。家族全員揃って楽しむことは、なかなかにハードルの高いことだ。

日々の食事や身の回りのことなど、それを整えることだけでも手間であり、成長し続ける子供に合わせて都度多くの準備をしていくことも果てしない、終わりのない日々のように思えてしまうのも無理のない話だ。

そう想像すると、自分一人を生かすのも大変な時代、家族を持ちたくないと思う気持ちは痛いほど分かる。

私も両親の介護を終え、やっと自由の身になった今だからこそ、一人でいたいと思うし、これから先家族を持ちたいとも思わない。
それは、自分が歳を取ったからだ。今度は自分が老いていく番であるのに、これからまた誰かと新たな関係を構築するなんて…想像しただけで卒倒しそうだ。

老いていく者は、身じまいをするのが役目であり、これから何かを広げていくのは違う気がする。もちろん、日々健康に生きていくために精進し続けることは必須だが…。

若い人達の人生はこれからだ。頭でっかちにあれこれ想像しても仕方ない!
いっそのことエイヤ!!っと飛び込んでみたら、案外楽しいこともあるかもしれないし、意地でも楽しいことにしていくしかないのだ。

お金がかかる、未来に希望を持てない、戦争があるかもしれない…等々、考えればキリがない。
家族を持とうが持ちまいが、生きていれば何がしかの困難は起きてくるものだ。

まさに「案ずるより産むが易し」の精神で突き進んでいくしかないのかもしれない。

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2024年02月15日

美白が大事!?

「白菜に黒いポツポツ」←「捨てるべき?」料理人の回答に…『知らなかった!』を読んだ。

記事によると、白菜に出ている黒いポツポツはポリフェノールだそうだ。
ポリフェノールと聞くと、何やら身体に良さげな感じがするが、白菜の場合は、これが出現すると甘味が落ちるそうだ。

これは柿にも出るそうで、そう言われれば確かにあるな…と思いつつ、それが出ているからと言って柿の甘味が落ちていると感じたことはないが…。

人間も加齢と共に、ポリフェノールではないが、シミやシワが出現する。
シミが出来ると肌もくすんでくるし、知らず知らずそれを隠そうと?厚化粧になりがちだ。
厚化粧をすると今度はそれを落とすのも面倒だが、きちんと落としておかないと、更なるシミを誘発する。

人間も歳月と共に劣化していくのは自然なことではあるが、少しでも鮮度を保てるよう出来る努力はしていきたいと思っている。

白菜も人間も美白を保っていくのは、なかなかに大変だ。

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2024年02月09日

必要なこと

俵万智さん「マルハラ」「おばさん構文」に秀逸の短歌で私見「優しい日本語大事ですね」と共感の声を読んだ。

先日、若者が文章の最後に「。」があると恐怖を感じるという記事を読んでいた。
その時は「そんなことに恐怖を覚えるのか…?」と、疑問しかなかった。

生まれた時からずっと日本語で語りかけられ、日本語を学んでいれば、句読点があるのは理解出来るだろうし、メールなどのやりとりの最後に「。」で締められるのは必然だ。

今や〇〇ハラスメント、コンプライアンスで、負の感情を抱かせたらそれはアウト!という風潮がまかり通っているが、マルハラスメントだなんて…!!何でもかんでもハラスメントにしていたら、生きていけないだろうに。

俵さんの短歌「優しさにひとつ気がつく ×でなく〇で必ず終わる日本語」。
そうそう!何事もポジティブに受け止めることが大切だと思わされる。というか、こんな短歌を生まなきゃいけないほど、若者のメンタルは崩壊しているのだろうか?

SNSの発達で、今やリアルな会話は減り、メッセージだけ、しかも若者は超短いメッセージだけで自分の思いを伝えようと言うのがそもそも無理があるのだ。

何でもかんでもタイパ重視で省略したがる若者達ではあるが、時には時間をかけ語り合うことが必要な時もある。

一見ウザイ話にも、人生のヒントが隠れていることもある。答えだけを欲しがり過程を疎かにしていると、自分で思考し生み出すことなど出来ないのに…。

いずれにしても「。」に恐怖を感じているようでは、先が思いやられる…というものだ。

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2024年02月06日

コンプライアンスの弊害

「部屋上げた時点で合意だろ!」『不適切にもほどがある!』昭和視点の「チョメチョメ同意」に反響「めっちゃタイムリー」を読んだ。

TBS毎週金曜日22時から放送の「不適切にもほどがある!」を楽しく見ている。
主人公と同世代の私からすると、その時代をリアルで経験しているので、賛同することが山ほどある。

もちろん、その時代のイヤだったことも多くあるのだが、令和のコンプライアンスがんじがらめとどちらが良かったか?と問われると、半々というのが正直なところだ。

職場では周囲が喫煙者だらけで本当にイヤだったし、女性が職場の清掃をするのも普通だったから、お茶くみも当然のことだった。
女性は良妻賢母になることが推奨されていた最後の時代と言って良いだろう。

ドラマの中で思春期真っただ中の娘に対して主人公の父親が危惧することはただひとつ!「チョメチョメしちゃう!」だ。これは、おニャン子クラブが歌っていた「セーラー服を脱がさないで♪」と同意だ。

昔は現代のようにスマホもないし、知る情報も限られていたから、若者達の関心事と言えば恋愛!が第一義だったように思う。今思い返せばそれはそれでほのぼのするものの、現代人が見たらドン引きする気持ちも良く分かる。

そういう意味において、ドラマにあるように「男性を家に上げた時点で同意した」とみなされる考え方はそう思われても仕方ない、ということだ。

街中でパンツの見えそうなスカートを履いていて、痴漢に遭ったら逆切れするのも、昭和世代から見たら完全にアウト!だ。盛りのついた男性達に我慢しろ!というほうが理不尽なのだ。

女性は慎ましく…という固定概念は好きではないが、自分の身を守るためには、男性を刺激する格好をすることを控えることは、犯罪の抑制に繋がる、という利点もある。

犯罪を犯す者が悪いのは言うまでもないが、どんな格好をしようが、何も考えず男性の家についていこうが、一緒に呑んで睡眠薬入れられて持ち帰られても、それに対する危機感、先の予測がつかなかった自身の読みの甘さは否めない。

何でもかんでも被害者だけが正当みたいな現代…果たしてそれで良いのだろうか?
コンプライアンスとは、誰もが納得いくものであることが重要だと感じる。


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2024年02月03日

だからテレビを観なくなる

「アップデートできてないままだから」小泉今日子 批判浴びた“バラエティくだらない”発言の“真意”に「わかるわ」と賛同の声を読んだ。

キョンキョンが発した「バラエティはくだらない」に、当初から深く賛同していた。
彼女がそう言った背景の真意は記事にある通りだが、それ以前に、バラエティー番組で面白い、興味深いと思うものはほぼない。

何の芸もない若手タレント達がひな壇でギャーギャー騒いでいるか、プライベートを公共の電波に垂れ流したり、誰でも知っているようなクイズに正解して大騒ぎしていることに?しか浮かばない。

昨今のテレビは素人頼みの番組が多い。どこぞの田舎に住んでる人を訪ねたり、家のリフォームに密着したり、一般人の家にお邪魔したり、タレントが旅先で現地の人と触れ合ったり…。今や視聴率を稼いでいるのは、まさに素人頼みばかりと言っても過言ではないだろう。

バラエティーもテレビ番組自体も旧態依然としていて、まさに時代の変化に乗れていない。
スポンサーの顔色ばかり窺って、忖度しまくりなのが現代のテレビ番組だ。
そうなると必然的に番組はつまらないから、ネットで観られるものに移行する。

年齢層やその人の能力、資質に応じて観るものは変わるが、昔のように家族揃って番組を楽しむ、なんてことは既に幻想なのかもしれない。

今やネット情報の切り売りばかりの番組になぞ何の価値があるのだろう。
それならいっそのこと、美しい世界の風景やかわいい動物などを、ナレーションなく生中継するほうが、よほど心癒される。

観る価値のない番組ばかりだから、テレビを観ない、それがシンプルな理由だ。


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2024年01月21日

快適が一番!?

「賃貸住宅に住むと早死にする」…!名門大学が研究論文で明かした衝撃の理由とはを読んだ。

本記事はイギリスの教授が発表したもので、国が違えば環境も変わるので、一概にどちらとも言えないのが現状ではないだろうか。

賃貸に住んでいると早死にする、持ち家だと長生きと仮定したところで、そもそも寿命が昔より50年近く伸びている現代において、更に長生きしたいのだろうか?と私は疑問に感じている。
その差はせいぜい数年の違いくらいであろうことは容易に想像がつく。

例え持ち家だったとしても、家族に不和があり、常にストレスを抱えていたら、どんなに安住の地であったとしても、それだけで寿命は確実に縮むし、毎日が楽しくない。

賃貸で一人暮らしであっても、近所の人や多くの友に囲まれ、心豊かに過ごしていれば、毎日が充実しているから、先の不安が多少あったとしても、何かあった時にはすぐに手を差し伸べてくれる人がいる安心感を持っている者も多くいるだろう。

高齢になって賃貸では更新が出来なくなったり、新たに物件を借りれなくなることもあるが、そもそも高齢者だらけの現代日本を見渡せば、そんな状況も近い未来大きく様変わりしていく。

時代はいつまでも同じ価値観で動いているわけではないのだから、見えない先のことを今からあれこれ心配するよりも、見えない将来も元気に健やかに過ごせるよう、日々を大切に生きていくことのほうが大切なのだ。

心配し過ぎは身体に毒でしかない。
ストレスを抱え込まず、持ち家であろうが、賃貸であろうか、この瞬間を楽しみ、感謝し、生き切ること!何よりこれに尽きる!だろう。

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2023年12月19日

墓問題と亡骸

恐ろしい…近年「遺骨をサービスエリアのごみ箱に捨てる人」が増えているワケ【中央大学法学部教授が解説】を読んだ。

子供の数が減るなか、墓問題はひとごとではない。
我が家にも母の願いで建てた墓があるが、私に子供がいないので、引き継ぐ者はいない。
親戚の者の誰かが引き継ぎたいと希望すれば託すかもしれないが、そうでなければ、自分が元気なうちに墓じまいをするつもりだ。

個人的には墓は不要だと思っている。
人の魂が肉体から離れた時が「死」であり、亡骸はただの物体でしかないからだ。
なので、私自身は海に散骨して欲しいと願っている。

とはいえ、亡骸を敬い埋葬することは、その人の尊厳を大切にしている証拠だから、とても崇高な行いだとも思う。

肉親や近しい間柄の人であればなおのこと、真っ当な思考回路のある者であれば、その亡骸を粗末にするようなことは決してしないだろう。

記事にあるように遺骨をゴミとして捨てるというのは、おそらくそれに対する思い入れもないうえ、むしろ縁を切りたい、死んでまでなぜその面倒をみなければならぬのか?といった、敬うとは真逆の関係性にある者達なのではないか?と推察する。

人間、近しい間柄のものとの関係が良好な者ばかりではないだろう。
いくら肉親であっても、憎しみしか残っていない者の亡骸を弔ってやりたいと思わないのもまた、人情であり、それは=ゴミとなる気持ちも分からなくはない。

憎しみではなくとも、処分に困り、捨てざるを得ない者もいるかもしれない。
人にはそれぞれ事情があり、そうせざるを得ない事が往々にしてあるのだ。

そう考えると、そもそも墓を持ち続けることに意味があるのだろうか?とさえ思えてくる。
先祖の骨を人質にして?墓苑から毎年維持費を徴収され、名義変更する時にも高額な変更料を取られる。
私からすれば、それらにも納得がいっていない。

墓を持つ、持たないは個人の自由だが、そのツケを子孫に残すのはやはり違う気がする。

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2023年11月16日

匙加減

「ショートニング野放しの日本はバカな国!」コンビニのスイーツに激昂。【食べてはいけない毒食リスト】を突きつけた夫と、突きつけられた妻の悲しすぎる選択。を読んだ。

日本は世界を誇る長寿大国だ。
それもこれも、自然に恵まれ、食べるものにも困らない環境下にあることが大きな要因だ。

私が子供の頃は着色料、保存料た~~っぷりの食品は多くあったし、それらを食べていたからと言って、大きな病気に罹ったことはない。

現在はそれらの規制はかなり厳しくなっているが、それでも記事にあるような添加物が無くなることはない。
自分で作った惣菜が常温で置いておけば1日でカビが生えることを思うと、消費期限が数日あるものは、基本的に何かしらの添加物が入っていると思って間違いないだろう。

出来ることなら自分で毎食作って、添加物がないものを食べるほうが理想的だろうが、それが出来ない事もある。そういう時はデパートやコンビニなどで惣菜を買うこともある。

昨今のコンビニスイーツは、専門店を上回るほどの商品が安価で手に入ることも有り、私も時々食べている。

身体にとって好ましくない添加物は極力控えたほうが良いことも分かってはいるものの、たま~に食べたくなるファーストフードやカップラーメン。背徳感満載だが、年に数えるほどしか食べないのだから、まあ、いいっか!と自分を甘やかしている。

無農薬の野菜を使った料理しか食べない、添加物は一切口にしない!と言う人が一定数いる。
とはいえ、肉も魚も飼育されている飼料はどんなものか分からないし、海にいる魚がどんな毒物を食しているか分からない。つまりは、どんなに気を付けたところで、それを100%抑制することは不可能なのだ。

それだけ気を付けていたって大病する人もいるし、添加物満載の食品を毎日食べ続けていてもピンピン元気に長生きしている人も多くいる。むしろ、後者の方が多いのではないだろうか?

身体に良くないと分かっていてもそれを好むのであればそれを食べれば良いし、それを我慢することのほうがストレスとなり、却って健康を害するようにも思う。
例えそれで寿命が縮まったとしても、好きなものを食べられることのほうがシアワセだと思うし、食べたいものを我慢して長生きしたところで、人生は果たして楽しいのだろうか?

何事も極端に偏ると悲劇を生むが、良い塩梅の匙加減で好きなものをありがたくいただくほうが、よほど心身の健康に繋がるのではないだろうか。

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2023年11月15日

情報と課題

結婚できるのは高学歴・大都市在住・大企業勤務だけ…『大独身時代』到来で日本に待ち受ける「ヤバすぎる未来」〈地方都市崩壊〉〈孤独死急増〉を読んだ。

今やスマホひとつあれば、世界中で起きていることや、身近なニュース、おばあちゃんの知恵袋的なことまで瞬時に分かってしまう。

誰かと付き合いたければマッチングアプリという手もあり、その中から好みの人を探し、うまくいけば付き合うこともあるだろうし、中にはそれで結婚に至る方もいると聞く。
日々忙しく働いていると、異性と出会う機会は減る一方なことを思うと、それも有りなんだとも思う。

だが、結婚となるとなかなかにハードルが高いというのが誰しもが思うことだろう。
夫婦二人で暮らしていくのだってお金はかかるし、ましてや子供が生まれればそれ以上に稼がねばならない。

昔とは考えられないほど教育費は高いし、養育過程はマニュアル通りにも親の思い通りにもいかないのが子育てだ。
自分の時間はほぼ無くなるし、仕事を持っていれば、もういくつ身体があっても足りないほどだろう。

忙しさにかまけていると、愛情不足で子供はグレルし…と、何重にも難関が待ち構える子育て…そんなことを事前に知っていたら、誰が子育てをしたいと思うだろう。

事前情報が少ない、未知の世界だから、結婚も子育ても出来ていたのが昔だ。
多くの情報を事前に知ることが出来て便利になった反面、弊害も生じている顕著な例とも言える。

いずれにしても、人生において苦難は付き物だ。
それらとどう向き合い昇華する生き方が出来るか?それが自身の課題だ。

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2023年11月05日

心身の柔軟

齋藤薫コラム|いよいよ、全員がマイナス20歳を生きていく時代、始まる!を読んで共感。

記事にあるように、昔と今とでは、実年齢と見た目にギャップがあることは明白だ。
江戸時代は50歳頃で人生を終えるのが普通だったが、今や100歳が当たり前になりつつある。

少し前までは60歳で定年だったのが、65歳⇒70歳へと引き上げられつつある。
全員が全員、健康で現役時代のように働けるわけではないだろうが、65歳頃までなら何とかフルタイムで5日間勤務することは可能なように思う。
それ以降は週3日や時短勤務などで、肉体の負荷を減らして働き続けるのではないだろうか?とさえ想像する。

私の祖母は60代で亡くなったが、遺影を見ても「おばあちゃん」と言える見た目だ。
母は90代を越え施設で暮らしているが、母が60代だった頃はまだ元気に働いていたことを思うと、祖母と母の世代間だけでも、人は長生きになり、見た目もずっと若く見えるようになっていることが分かる。

私は能天気に生きているせいか?周りから「いつも変わらない」と言われるものの、それとて歳を取っている分、それなりにあちこちにガタは来ているが、そうは見えないようあれこれ工夫を凝らしている。とはいえ、それに大金をつぎ込むことなく、日々の生活習慣を見直すよう心掛けている。

若く見えるか見えないかは、恐らく見た目の問題もあるが、歳を取っても新しいことにチャレンジしたり、時代の変化を嫌うことなく、柔軟な姿勢で臨むことが大きく影響しているのではないだろうか?と感じる。

毎日が楽しく、ありがたいことの連続と思えれば、醸し出す雰囲気も自然と柔らかく、温かいものなっていくだろう。

他方、足ることを知らず、不平不満ばかりこぼしている人には近寄りたいとも思わないし、見た目もどす黒いものを纏っているのが見えてしまうので、余計に老けて見える。

人は自分の力で生きていると勘違いしているが、日々の暮らしを営むうえで、自然の多いなる恵み、周囲の人達のお世話にならなければ一時も生きてはいけないのだ。
そのことに感謝する心、何事も「ありがたいな~」と思える気持ちがあれば、心は自ずと豊かになっていく。

今ある手元の「ありがたいこと」を探していくことは自身をシアワセに導くし、見た目も華やかに見えるものだ。

身体にストレッチは必要だが、心の柔軟さを保つこと、それが何より肝要だ。

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2023年10月26日

現実として

友だちが少ない方が幸せな理由7つを読んだ。

友達が全くいないのは寂しいかもしれないが、誰でも彼でも…というのは違うなとも思う。
もちろん、多くの人達と仲良く出来ることは理想だが、現実はそう簡単ではない。

子供の頃は自身が無知なので、あまり周囲のことが目に入らないから、案外誰とでも仲良く出来るが、知恵がつき、大人になるにつれ周囲が見えてくるから、付き合う人も子供の時のようにはいかなくなるのが成長の証でもある。

私は子供の頃から本音で付き合えない人が多いことに違和感があったが、今にして思えば、本音をぶつけないから表面上は穏やかに距離を置いて付き合える、ということなのだと悟った。

1日は24時間しかなく、そのうち4分の1を睡眠に充てると、起きている時間は18時間ほどだ。
その中で家事、育児、介護、仕事…等々を詰め込んでいるのだから、正直友達と会ってる暇はないのが現状だ。

1日中ゲームをしたり動画やテレビを観ているという人がいるが、どうすれば、そんな時間が捻出できるのか?教えて欲しいくらいだ。

人として生きていくための家事をこなすだけだって相当の時間と労力を要する。
そこに家族のこと、仕事もしていれば、時間はいくらあっても足りないと思うのだが…。

見せかけの友達が多いと、記事にもあるように無駄な出費が増えるので、本音で付き合えない人とは付き合わないことにしている。要は価値観の合わない人とは友達にはならない、ということだ。

少ない友達でも、月に一人会ったとしても、次に会えるには数か月後だったり、気付くと平気で1年経っていたりすることはざらだ。

まずは自分がきちんとした生き方をすることが第一義であり、その次に他者との関わりがあるから、現実問題として、多くの友達と付き合うには無理があるのだ。

ならばこそ、真に自分のことを分かってくれて、お互いを尊重し合える者と友達でいることが何より有効だと思う。

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2023年09月04日

落としどころの無い話

職場にいる「話が長いだけの人」と「話を短く伝えられる人」の決定的な差とはを読んだ。

職場に限らず、ダラダラと長話をする人はどこにでもいるものだ。
私は話が長い人は苦手なので、その人が近くに来たら逃げるようにしている。
その人自身が嫌いというわけではなくても、延々とオチの無い話をされることが苦痛なのだ。

話の長い人というのは、目的を持って話をしているわけではなく、ただ単に自分の思いを聞いて欲しいだけであって、こちらのリアクションはさほど気にならないようだ。
ならば、ロボット相手にでも喋ってれば良いものを、人間相手に喋りたがるから始末が悪い。

話が長いというのは、究極論としてそれも「かまってちゃん」の一種だと捉えている。
誰か側にいて欲しい、私のことを分かって欲しい、話を聞いて欲しい!!=かまってちゃんとしか言いようがない。

かまってちゃんも依存症の一種だとは思うが、他人に依存している限り、心の安寧がやってくることはない。そんな永遠に心に空いた穴を埋められない人と、無益な話をすることほど無駄なことはない。

キツイ言い方だが、人は他人をカマッていられるほど暇ではないのだ。

オチのない話、結果のない話、それが好きな者同士でやれば良いのだ。
誰かれ構わず捕まえて延々と話しをする人、マジで迷惑だ。

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2023年08月31日

名ばかりの?女性活躍推進

企業や組織において、女性の管理職を増やそうという動きはあるものの、出産、育児を担う女性が、男性と同じように活躍するのは、なかなか厳しい現実がある。

保育施設の拡充などの取り組みはなされてはいるものの、現実としてマニュアル通りにはいかない子供の言動に振り回される保護者は多い。

それでも組織としては建前上でも女性管理職を入れないとマズイということで、出来そうな女性を登用するのだが、その女性が定年まで管理職として勤めあげられるのはまだまだ少数だ。

女性が管理職としてバリバリキャリアを発揮するには、家族の助けは必須だ。

先日、私の身近でも管理職であったキャリア女性が退職したことを知って驚いた。
その方は二人の育児と仕事を両立しながら、責任ある業務をこなしていた。
以前彼女から聞いた話では、夫が家事、育児が全く出来ず、それらの負担は全て彼女が負っている、というものだった。

女性が若くして出世したとしても、家事、育児との両立は簡単なことではない。
まして夫や家族の協力もなかったら…。行く末は破綻でしかないだろう。

そう考えると、手のかかる子育て世代の若い女性を管理職に登用するのはどうなのだろう?とふと感じた。これって、もしかして早々に辞めさせるための手段なのではないかと?

表向きは若い女性の管理職を登用しています!うちは先進的です!!とか言いながら、裏では責務に押しつぶされるのを組織は待っているのではないだろうか?とさえ勘ぐってしまう。

自分一人生きていくのだって大変なのに、乳飲み子や幼子、最悪は家事、育児をしない夫を抱えて、女性が活躍するのって…。

どんなに上昇志向の強い女性であっても、一人で全てを成しえることは、どう見たって無理なのだ。


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