心の在り方とお役目

2024年03月05日

自分では気付かないうちに

多くの「うつ病患者」が初診時に言う「意外なひとこと」を読んだ。

周囲を見渡すと、メンタルをやられてる人が多いと感じる。
そういう方々は大概真面目な気質で、何事にも手を抜かない、抜けない傾向にあるようだ。

1日24時間の中で出来ることは限られている。
家族がいればその世話から始まり、仕事、家事、育児、介護と、数え上げればキリがないほどの「やらねばならない」ことがてんこ盛りだ。

それらひとつひとつを真面目に取り組んでいたら、オーバーワーク、キャパオーバーするのは必然だ。
それでも「やらねばならない」という生真面目さから、知らず知らず、自身を追い込んでいき、心身が疲弊していることにさえ気付けないままだ。

そんな状況では、寝ても寝ても疲れは取れないし、次の日の「やらねばならぬこと」を考えると眠れなくなり、悪循環に陥っていく。

人間には本来自身を守るための、防御機能が備わっている。
疲労物質でそれ以上「やらねばならぬこと」をさせないようにしているのではないか?それがうつ状態なのではないか?と思う。

「うつ」という状態にまで追い込まれて初めて、やるべきことが手に付かない、ということになるのかもしれない。

誰だって日々喜びの心で楽しく嬉しく過ごしていければ「うつ」になることもないだろう。
それが出来ないから知らぬ間に「うつ」になっていくのだ。

頑張り過ぎないことが大切な現代…。

疲れが取れないのであれば、この現状をどう変えていけるのか?
どうしたら自分が楽になれるのか?をまずは考え、それを周囲に伝え、協力してもらうことが必要だ。

辛さを周囲に話すことはとても大切なことだ。
一人でも信用出来る人、頼りになる人にまずは話してみてはどうだろう。

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2023年09月13日

身の丈に合った生き方

嫉妬心はなぜ生まれる? を脳ドクターが解説 嫉妬する人にありがちな3つの特徴を読んだ。

若い頃は周囲の目が気になることもあったが、昔からさほど他人の動向に興味のない私にとって、嫉妬心は全くないと言ったらウソになるが、ほぼ無い。

他人の羨むべきところを見た時、それは素直に素敵なことだと思うし、その人のようになれるよう精進しようと思う。とはいえ、どうしたって叶わないことだって世の中には五万とある。

そういう時は、自分にはその適性がないのだ、とすっぱり諦める。無理をしてそこに寄せようとしても、ダメなものはダメなのだ。

簡単な事例で言えば、テレビに出るような美しすぎる女優さんやタレントさん達を生で見た時、一瞬で「ああ、叶わないな」と思うといったことだ。どんなに努力したって、生まれ持った容姿は変えられないのだから。

じゃあ、自分には何がある?と思った時、誰にだって一つ以上の得意はあるものだ。
それは他人が見た時に一見価値がないように思うようなことであっても、世の中にとって価値のない事柄や人間などいない。

それがどんなに地味で暗くて…といったものであっても、奥義を窮めれば、光輝く宝となっていくことは間違いない。

記事にもあるように、他人に嫉妬するというのは暇だからだ。
自分の成すべき事柄があれば、他人に構ってる暇も、ましやて嫉妬してる時間もないのだ。

自分の器、才能を見極め、身の丈に合った生き方をしながら、日々を喜びの心で生きていく。
それこそが自分にとっての幸せであると自覚出来れば、嫉妬という感情は湧いてこないものだ。

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2023年01月23日

シアワセな最期

相続人なき遺産、647億円が国庫入り 21年度過去最高を読んだ。

どんなに財産を築いたとしても、記事にあるように647億円もの金が国に没収されるのだ。
これは氷山の一角で、その額はもっと多いだろうし、年々増加していると想像する。
だからなのか?国は1300兆円以上(現時点)もの借金(国民一人当たり1280万円ほど)がありながらも、相変わらずのんべんだらりとしている。

いざとなれば浮遊財産やら国民の預貯金を没収すれば良いくらいにしか思っていないのではないか?と邪推する。

今世に生まれ、がむしゃらに働き人より多く資産を稼いだとしても、自身が死んでしまえば水泡と来すにも関わらず、我情我欲にまみれ自身の承認欲求を満たすためだけに他人を蹴落としてでも突き進む者もいるが、果たしてその先に何があるのだろう?

人は死の間際になると、自身の過去を悔い改める傾向になるという話を良く耳にする。
人生の終盤になって初めて自身の愚かさに気付けることは、それはそれで良いのかもしれないが、それまでに行った自身の蛮行で、どれだけの人が不幸になってきたのか?それは死んだからと言って許されるものではないし、その報いは死んだとしても、魂は背負っていくことになる。

そして、また生まれ変わった時に、その報いを精算するために新たな人生の修行が始まるのだ。

人はこの世に過去のカルマを精算するために生まれるのかもしれないが、それと同時に魂の徳を積むことが必要だ。そうでなければ何度も生まれ変わり、カルマ精算のために艱難辛苦を味わうことになる。

金を稼ぐことは悪いことではないが、それは自身の欲のためではなく、周囲をシアワセに導くものであって欲しい。そうでなければ自身の徳は一向に増えていかない。

自分の幸せのために生きるものは、死んでも魂は満足出来ない。
他者のため、周囲の幸せを願い生きる者だけが、シアワセな最期を迎えられるのだ。


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2023年01月11日

忘れることの大切さ

生きていると、稀に夜も眠れなくなるくらいイヤな出来事に遭遇したり、トラブルに巻き込まれることがある。
それが、予測不能なことであればあるほど、その理不尽さに怒りや悲しみを感じる。

どうしてそうなってしまったのか?回避出来ないことだったのだろうか?あの時ああすれば良かった、などと後悔したところで、時は巻き戻せないと分かっていても、忸怩たる思いはなかなかぬぐえるものではない。

眠れない時は何をしても眠れないから、じっと布団の中で眠りに落ちるのを待つしかないが、そうなるまでに、頭の中はイヤなことでいっぱいになり、さらに頭が冴えて眠れなくなることもある。

結局一睡も出来なかったとしても朝はやってくるし、仕事にだって行かなくてはならない。
いつもの日常を送ることで、もんもんとした事柄も少しずつ薄れ出し始める。
昨晩眠ってないから睡魔もピークに達し、仕事が終わって帰宅すると、速攻バタンキューだ。

どんなに悔しいことや悲しいことがあっても、人間はお腹が空くし、眠くなる生き物だ。
そうやって、時間が経つにつれ、当初の衝撃は徐々に和らぎ、そんなことがあったことさえ忘れてしまうように出来ている。

いつまでも恨み辛みを抱き続けるほうが疲れ果ててしまうと思うのだが…。むしろ、そのエネルギーは凄すぎる…。元気でなければそんな負のエネルギーを持ち続けることは困難だ。

とはいえ、同じ生きていくのであれば、暗くジメジメしたエネルギーより、明るく楽しいエネルギーを発して生きたいと、改めて思った年の始めだ。

と、この明るく楽しいエネルギーを妬む人にとっては、厄介このうえないのかもしれないが、どう生きるかは人それぞれ。他人を妬み恨むのが主義ならご勝手に…と言うしかない。

そんな人がいることさえ、私はすぐに忘れてしまうので…。

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2023年01月09日

承認欲求はほどほどに

SNSなどで自分自慢をしたい人の何と多いことか…。

中には単純に近況報告、というものもあるだろうから、全てが承認欲求とは思わないが、四六時中それらをチェックしたり、フォローしてる人に「いいね!」を押しまくり…といった、いわゆるSNS中毒になっては本末転倒だ。

中でも危惧するのは、子供や孫など、身内の写真を勝手にアップする親達の存在だ。
子供が大きくなった時、二度と回収出来ない自分の幼い頃の写真を勝手に世の中にバラまかれたと知ったら、子供はどう思うだろう?

親としては自分のかわいい子供を世間に見て欲しい、知って欲しい、ということなのだろうが、子供の同意なしに世間に公開することは、ある種の犯罪にも匹敵する。

万一、その子供が誘拐されたり、何らかの犯罪に巻き込まれないとも限らないのに、そこまで親は真に子供のことを思っているのだろうか?

目先の浅はかな思いだけで、自身の承認欲求を満たすためだけに子供を巻き添えにしているのだとしたら、子供は不幸だ。

子供以外にも、リア充を演出したがる者も多くいるが、自分がどれだけ恵まれていて、他人から羨まれるような生活をしているかを披露したがるのも、自身に中身のないことを世間に広く知らしめているのと同じだが、それが理解出来てないこともまた、何とも気の毒な人種と言える。

人間は褒められて伸びる生き物ではあるものの、その承認欲求の矛先を間違うと、取り返しのつかないことになる。

他人に認められたいのであれば、誰にも言わず、SNSにも披露せず、ひっそりと研鑽を積み、いよいよ世間に知らせても恥ずかしくないレベルに到達するまでは控えておくほうが賢明だ。

中には他人に見られるから頑張れる!という方もいるだろうが、それはそれで構わないが、その先の未来に起きることを覚悟のうえなら…。

まずは、今の自分のレベルに見合う承認欲求の方法を模索するほうが得策だと思う。

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2022年05月14日

心に響く生き方

NHKで2016年に放送された「中島みゆき名曲集~豪華トリビュートライブ&貴重映像」の再放送を見た。

子供の頃は女性の恨み節的な歌詞にドン引きしてあまり好きではなかったが、歳を経て多くのことを経験してみると、彼女の歌詞があまりにもピッタリくるというか、心に響くようになった。

中島みゆきは1975年にデビューし現在にいたるまで、多くの名曲を世に送り出しているだけでもスゴイことだが、どの曲も人の心に深く訴えてくる。

世相を反映、男女の機微、人の在り方…等々、人間の根幹にあるもの、深い深い心のひだを繊細に表現しているな、とつくづく感じる。

この放送では本人の映像もあるが、カバーしている方達の披露もある。
それぞれの歌い手がその曲に思いをこめていることが伝わってくる。その姿にもまた惹きつけられた。

人には誰にもその人に見合った才能があり、それを発揮できることが生きる喜びであろうが、中島みゆきさんほど、その才能を遺憾なく発揮している人はいないのではないか?と思うほどだ。

これからもいついつまでもお元気でその才能を咲かせ続けて欲しいと思った。
彼女の存在が、どれほど多くの人の支えになっていることだろう。

私達一人一人にもそれぞれに課された役割がある。それを微力ながらでも咲かせていける生き方が出来ることを、改めて思わされた。


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2022年05月02日

いつの世も

【鎌倉殿の13人】“闇落ち”義時にネット震撼「ダーク大河」「目の光が消えた」【ネタバレあり】を読んだ。

今期放送の大河も観ているが、記事にあるように、主役の北条義時が汚れ仕事に逆らえず手を下す、というシーンがあった。

どんな主君の元に就こうとも、キレイごとだけで世の中は回らないもので、いつの世も誰かが手を汚すようなことはつきものだ。

現代ならパワハラだセクハラだなどと訴える場所もあるが、武家社会で主君の命令に逆らえば、有無を言わさず打ち首だ。キレイごとを貫ける状態ではないのだ。

昔から誰もが誰かのためになるように!と、高い志を掲げて精進しているが、それがいつの間にか私利私欲にまみれ、ダークサイドの虜になることは良くあることだし、誰しも良い心とそうでない心があるからこそ、闇に落ちてもまた這い上がれるのだ。

とはいえ、ダークサイドに落ちて心穏やかでいられるほど人間は図太くないし、自分が犯した過ちは、巡り巡って自分に還ってくる道理を考えると、やっぱりダークサイドに落ちたくないな、とも思う。

いつの世も自身との闘いは変わらぬものだ、と思わされた今回の大河だった。

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2022年01月27日

生きる肝

日本人特有「ぼっち遺伝子」に負けない3つの方法~「幸せな孤独」を実現している人に共通することを読んだ。

記事によると、日本人は遺伝子的に孤独による苦しみを感じやすい民族だそうだ。

セロトニンという脳内ホルモンが出ることで、人間は幸福感を覚えるのだが、日本人はそれが少ない傾向にあるとのこと。

私は昔から群れるのが苦手で、どちらかと言えば一人でいるほうが楽なので、日本人特有の孤独を感じるホルモンが少ないのだろう。だからといって、友達がいないわけでも、ずっと一人でいるわけでもなく、時と場合に応じ、人との付き合いも欠かしていない。

孤独に苦しむかどうかは、記事からの抜粋になるが、
うけいれる=自己受容、(自分を)ほめる=自尊心、らくになる=楽観性
ことが大切とのこと。

確かに、私は自分の能力も度量加減も分かっているので、身の丈に合った暮らしをしているし、日々毎日やるべきことをこなしているし、成ならぬものは成らぬので、良い意味で諦める時は諦めるし、物事なるようになるさ~くらいにしか思っていないので、トータルとして楽観的なのだ。

自分はこんなはずじゃない、もっと周囲から認められるべきだ、とか、いくら頑張っても自分はダメな人間だ、とか、どうして思い通りにいかないのだろう、などと思っていたら、苦しいだけだ。

どんなに執着心を持って臨んだとしても、大概の人間の生き方は、思い通りにならないのが現実だ。

今ある自分の状況を冷静に把握し、その中で最大限楽しめる生き方を模索したほうが、最終的には自分が楽になるのだ。

楽になるとは、やさぐれてやるべきこともせず、のんべんだらりと自堕落に生きることではない。

自分の出来る精一杯を日々努めながら、あとはケセラセラの気持ちでいる、ということだ。
そして、そんな自分、よく頑張った!と、自身を褒めてあげることが大切なのだ。

生きることは、それ自体が自身に課して生まれてきた修行なのだから、腹を括って今の状況を打破していく、そんな苦行さえも楽しめる気持ちを持てるかどうか、そこが肝なのだと常々感じている。




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2021年12月01日

断る勇気

ウォーレン・バフェットが語る、成功者が使う「たった1つの言葉」を読んだ。

記事にあるように、この世で最も貴重なものは時間であるから、自分の成すべきこと、必要なこと以外には「ノー」と言えることが大切だと共感する。

人生において、その時々の自分の立ち位置、スキルによって付き合う人は変わってくるものだ。
一生同じ人とずっと付き合い続けられる人というのはそうそういるものではないし、いたとしても、それは互いが同じくらいの価値観であるからこそ継続出来る関係だと思う。

自分の使命が分かっている人は、ただの金儲けには走らないから、自分のバックボーンに縋ってくるような人とは付き合わないし、付き合うべき人の選択も出来るものだ。

日々を流されながら生きている人は、来るもの拒まずで、その時を無難にやり過ごせればそれで良いと思っているからなのか?「こんな人と付き合って大丈夫?」という人ともズルズル関係を続けてしまう。

それは自身に断る勇気がないからなのか、自分にとって大切な人であるかどうかのジャッジが出来ないからなのかは本人にしか分からないが、それは自分自身を大切に出来ていない証ではないかと思う。

自分を大事に思っていれば、自ずと自分にとって良い影響を与えてくれる人としか付き合わないようになるものだ。

人間社会、いろんなしがらみがあって、断り切れないことも多々あるものの、自分にとって悪影響でしかない人間関係とはフェードアウトの方向に軌道修正しないと、そのうち自分がパンクしてしまう。

分かりやすい例として、飲み会の誘いなどもそうだ。特に職場のそれなどは顕著で、親しい人達となら楽しいお酒になるが、上司の武勇伝やら説教やらを聞かされる飲み会には出たくないと誰もが思うだろう。そういう自分にとって悪影響なものは、やんわり断っていき、そのうち「あいつは誘っても来ないから」と諦められればめっけものだ。

それで職場での立場が悪くなっても、出世に影響しても構わないというくらいの腹を括る必要はあるものの、そんな職場で出世したところで、自分にとって何のメリットがあるのだろう。そんなくだらないことでしか評価してもらえない職場なら、とっとと次の仕事を探したほうが良い、ということになる。

いずれにしても、一度しかない人生なのだから、自分にとって良い影響を与え、自身を高めてくれる人と付き合っていないと、自分の使命は果たせないことを肝に銘じておいたほうが良い。

断るか断らないかは、あなた次第!

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2021年11月11日

ブレない強さと優しさ

瀬戸内寂聴さん、細木和子さんが、相次いでお亡くなりになったニュースを見て、昭和がどんどん終わっていくな…と、いくばくかの寂しさを感じた。

お二人に共通するのは、信念を以て自分の使命と向き合い、その結果、多くの人達の力となり、希望になり続けたことだ。

お二人が若い頃は血気盛んで、今では放送出来ないようなことも平然としゃべったり、披露していて、ビックリ!したこともあるが、それだけ自分のしてきたことには責任を持つし、本来なら人前で言いたくないことも臆せず発言していたことからも、相当の覚悟を以て生きていたのだな、と思う。

それは一見無敵な強さのように感じることもあるが、その奥には、深い深い愛情があってのことだったとも推察する。

強いことを言うだけの人であれば、周囲から疎まれすぐに消えていくが、二人は長年に亘って活躍しているところを見れば、その奥には決して表には出さないが、無条件で多くの人の心を救ってきたのだろうとも思った。

人にはそれぞれ生きていく使命と役割がある。

お二人はそれらを十二分に果たし、今世を生き切ったのだ。
人として素晴らしい生き方だった!!の一言に尽きるだろう。

私もあの世に行く時に「自分の使命を果たせたか?」と自分に問い「悔いのない人生だった」と言えるよう、これからも精進したいと思う。



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2021年10月10日

幸せを実感するには

「メンタル不調」とは無縁だった大昔の人々が当たり前のようにしていた"あること"を読んだ。

昨今良く言われる「心の病」は、記事にあるように、昔はそんなになかっただろうと推察する。

昔は「食べる」こと「生きる」ことに精一杯で、自分の意のままにならないことを不足に思うことなど、優先順位としては下位だったからだ。

どんな動物も「生きる」ためには「食べる」ことが必要だ。
現代のように飽食の時代と言われるような様々な「食べ物」はなかったのだから、それを調達することで一日が終わると言っても過言ではない。

「生きる」ことに必死だった頃の人間の意識は、全て「食べる」ことに向かうから、他のことに心を惑わされることもなかったのだ。

今や「食べる」ことに心配がいらなくなると、人間の意識は他に向かうことになるが、住む家も着る服もあり、学校や職場にも恵まれていると、それ以上にかける意識は人によって大きく変わる。

この世に何のために生まれて来たのか?生かされているのかが分かっている人間は、更なる進化のため今以上の高見を目指すが、それが分かっていない人間は、自分の身の周りの不足にしか目がいかない。

そうなると、毎日が愚痴、不満、嫉妬といった向上心とは真逆の方向に進むことになり、行きつく先は、周囲にかけたはずの呪いを自分で受けることになり、心が崩壊してしまうのだ。

今あることに感謝出来ない人間の末路は「心を病む」ことに繋がっていく。

私達は、地球上の多くの恵みを頂いて生かされているのだ。

生かされている根源を見失うと、記事にあるように、人間は傲慢な生き物と化してしまい、何でも自分の思い通りになると勘違いしてしまう。
思い通りにならないジレンマが不平、不足を引き起こすのだ。

現状がどんなであろうとも、一旦はそれを認め、受け入れていかないことには、先に進むことは出来ない。
日々の歩みは細やかではあるが、受け止めたところからどう未来を切り開くかは、自分の心次第なのだ。

自分の心と対峙した時、苦しいのか?悲しいのか?嬉しいのか?感謝の思いで満たされているのか?
さて、あなたはどうだろう?

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2021年02月11日

自分のため=他者のため

年度末が近づき、職場では異動や転職する人などがボチボチ出始めている。

先日久しぶりに通勤したのだが、そこで20代の女子から今年度で辞めることを打ち明けられた。
彼女にはこれまで仕事を教えてきたこともあり、彼女なりに私に義理を感じていたようで、テレワークが続いているので、会った時に挨拶をしたいと思ってくれていたそうだ。

彼女は仕事の飲み込みも早く感も良いので、こちらも教え甲斐があったし、向上心のある子だったので、仕事上助かる反面、彼女自身のスキルアップも気になっていた。

他からお声かけをいただいたとのことで、悩んだものの、そちらに行くことにした、と少しバツの悪そうな顔で言うので「自分の人生なんだから、好きなことをしたほうが良いし、組織に義理立てする必要はないよ」と話した。

仕事が出来るがゆえに、周囲も彼女に甘え頼り過ぎていた。それが、彼女を苦しめてはいないだろうか?と、日々危惧していたので「ツライ時は無理してはダメだよ」と声かけしていたし、彼女自身がもっとスキルアップしたいと思っていることも知っていたので、この春から新しい道に進めることになり、私も嬉しく思っている。

人は周囲の助けなしには生きていけないから、現状から脱して次のステージへ進むことに躊躇することもあるが、チャンスを掴んだのなら、迷わず次に進むべきだと思う。

そこでまた新たな花を咲かせることで、周囲の役に立っていくからだ。

人にはそれぞれ与えられた使命がある。それを果たすために日々努力を重ね、ステップアップしていくようになっているから、現状の環境に引け目を感じる必要はないのだ。

新たな世界は未知だし不安なこともあるだろうが、勇気を以て進んで欲しいと願っている。


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2021年02月04日

まずは自分を大切に

「嫌いな姑の不健康を願っていた妻」の心に芽生えた“やさしさ”を読んだ。

記事にある「人にやさしく出来ない人は、自身に満足出来ていない人」におおいに頷ける。

人には誰しも表と裏の顔があるし、それが普通のことではあるが、基本的に意地悪な人や他人を思いやれない人は、自己満足を得られず常にイラついているように感じる。

いわゆる承認欲求が満たされないがために、他人を平気で傷付けても何とも思わないのだ。
自身が満たされていれば、周囲にも優しくなれるのだが、そうではないから厄介だ。

育った環境によって十二分な愛情を受けることが出来なかった人、愛情という名の束縛にがんじがらめにされた人、親の敷いたレールに疑問も持たず育った人、自身の希望や願望がありながらも、それを表出出来なかった人…等々、人は誰しも100%満足を得る育ち方をする人はそうそういないものだ。

だからこそ、自身に足りないものを埋める努力をしながら心を満たしていくと、それが生きる意味となっていく。

努力して得た成果で承認欲求は得られるし、自信も持てる。
その過程は険しく、くじけそうになることもあるだろうが、その経験こそが自身を強くし、寛容な人間へと成長させてくれる。

闘うべき相手は他人ではなく、常に自身でしかないが、闘っている自分、頑張っている自分を自身で誉め、これまでの経過を讃えよう!

自分を大切に出来るのは、自分しかいないのだ。


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2021年01月02日

それぞれの役目

史上初の無観客「紅白」第2部視聴率40・3% 2年ぶり“大台”回復!コロナ禍の巣ごもり影響を読んだ。

2020年のNHK紅白歌合戦は、史上初の無観客放送となった。

出演者リストを見ると若手の台頭が目立ち、正直あまり見たいとは思わなかったが、事情があって0時まで起きていなくてはならず、他チャンネルも興味をひくものがなかったため、惰性で?昼頃からNHKを点けていた。

ずっとテレビを観ていたわけではなく、家事に追われながら、仕事もあったのでそれもこなしつつ、といった感じだった。

思いのほかそれらが早く片付いたので、紅白歌合戦の開始から観ることが出来た。
これまでのように出演者が一同に会すこともない変わりに、他スタジオや中継で繋ぎつつ、視聴者も参加出来る新手法となっていた。

特筆すべきは、出演者のパフォーマンスが例年以上に高いことだ。
名前は知っていても見たことのない若手達も、ベテランも、それぞれが精一杯心を込めたそれを見た時、この時代だからこそ、自身の使命を精一杯果たそうとする姿に心打たれた。

昨今の音符の長さ以上に歌詞を詰め込んだ歌には閉口していたが、紅白で見た若手達のそれは想像以上に素晴らしかった。
若くても、彼らなりの大義や思いが込められていることが伝わってきた。

司会3人のコンビネーションも絶妙で、暗い世相を吹き飛ばす明るさとトーク、見ているだけでこちらも元気がもらえた。

エールでヒロインを務めた二階堂ふみさんの歌唱も素晴らしく、ドラマの中で鍛えられた成果が十二分に出ていたな、とこちらも感動。

人類が滅多に遭うことのない渦中ではあるが、その中でもそれぞれが自身の役目を全うすること、その大切さと必要性を、紅白歌合戦を見て改めて感じることが出来た。

私も自身の役目をしっかり果たすべき、今年も精進したいと思う。

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2020年11月16日

人間であるならば

貧乏な人ほど感情的になりやすい?金持ちは「怒り」にどう対処する?を読んだ。

記事内容には賛同出来る部分もあるが、金持ちでも感情的になり易かったり、パワハラ、モラハラな人もいることを思うと、金持ち、貧乏という括りプラス、民度の違いや、愛着障害の有無もあるのではないか?と思う。

基本的にすぐキレル人というのは、自己中心的で他者を思いやれない人に多い。

幼少期に保護者から十人分な愛情を受け取っていれば、愛されることの幸せが分かるから、他人に対しても優しく出来る。

愛情を知らない人は常に心が満たされないから、自身でも不明の苛立ちを覚え、他者に対しても思いが至れない。

まともな教育を受けていないと、社会に対する視野が狭まり「食べて、寝て、生きること」が中心となり、社会通念の欠如をもたらす。

愛情不足、教育不足、金銭不足…等々、複合的な欠如が、その人の性格を決定付けてしまうのだろう。

貧乏な家庭にいても、周囲のサポートや自身の身の振り方によっては、そこから抜け出すことも出来るし、更なる高みを目指すことも出来る。

人間が動物と違うのは、智慧があることだ。
それを生かせないということは、ただの動物と化してしまう。

この世に生まれたからには、どんな環境で育ったとしても、自身を成長させることが何より大切だ。
成長した自身が成す仕事が、世の中を動かしていくことに繋がる。

貧乏に生まれたからと言って、その運命を呪い続けるのか?その運命を大逆転させるのか?
それは、自分次第なのだ。



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